礼拝説教


2010/12/19 <降誕祭礼拝>

       「天に栄光、地に平和」

名誉牧師 大宮 溥

ルカ福音書2:1〜20


◇ルカ福音書は、世界の歴史を通して神の救いが実現してゆくという「救済史」を描こうとしている。だから主の降誕も一つの歴史として示される。皇帝アウグストの人口調査の時に本籍地のベツレヘムに帰った若い夫婦が長男を産み、「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(7節)。口語訳では「客間には彼らのいる余地がなかった」となっている。宿は得たものの合い宿で一室を独占できなかったのである。

◇キリストが我々と同じ一人の人間としてこの世に来られたということは極めて重大な出来事である。神が滅びの危機に顔している人間を救おうとなさった時、選びとられた窮極の手段がこれだったのである。それまでのように世界の創造者として上から働きかけるのでなく、人間と対等の存在となり、更には人間に代わって犠牲となって下さった。愛の究極の姿は、愛する者の代わりになることである。われわれはクリスマスにあたって、このような神の愛の対象であることを確認し、深い喜びと感謝を新たにしたいものである。

◇最初のクリスマスの夕べ、天使の群が「天に栄光地に平和」と讃美した(14節)。キリストが来られるまでの地上は、悪霊と人間の罪によって、厚い雲が太陽を覆うように神の栄光が閉ざされていた。しかしキリストは天地を隔てる雲を突き破って、天から地に下り、神と人間とをしっかりと結び付けてくださった。天の栄光が地上に輝き出たのである。

◇「地に平和」というときの「平和」シャロームは、単に戦争がない状態ではなく、世界に生きるすべてのものが、収穫の時を迎えた自然のように、命と喜びに溢れる状態である。神の国の到来の姿である。キリストはその生涯と十字架と復活によって、この神の国の基礎を据えてくださった。21世紀の最初の10年はテロと不況の10年であった。しかし神との和解と敵への愛の神の国の基礎が据えられている故に、希望をもって次の10年を歩み出したい。

◇さらにその究極はゼファニアの言うように、主が「お前の中におられる」ということだ。「15:イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない」。そばにではなく、近くにでもなく、お前の「中に」主がおられる。それによって私たちは苦難の中にも「主の名を避け所とする」信仰を持ち続けることが出来る。

◇羊飼いたちは御子を拝して、天使の告げた福音を人々に知らせ、また「神をあがめ、讃美しながら帰って行った」(20節)。これはキリスト教会の原型である。キリストが新たに内に宿って下さることを覚え、伝道と神の国の建設のために世に出て行こう。

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