礼拝説教


2010/8/8 聖霊降臨節第12主日礼拝

       「結婚のおきて」

牧師 大村 栄

エフェソ書5:21〜6:4 


◇「夫に仕えなさい。夫は妻の頭である」などと言う男性優位の状況の下で、「25:夫たちよ、妻を愛しなさい」とパウロが勧めたのは画期的だったと言える。しかしすべての前提は、「21:キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」にある。

◇フィリピ書2:6-7「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」。この「キリスト賛歌」に称えられるキリストの犠牲的な愛にならい、相手に期待する受動的な愛ではなく、自ら能動的な愛を行うのが「仕える」ことだと言っている。

◇離婚の原因の一つに「役割期待感の挫折」があると言われる。誰もが相手にある役割を期待し、それが満たされそうな相手と結婚するのかも知れない。ところが実際に結婚してみると、その期待感が裏切られていく。しかしキリストがまず私たちに「自分を無にして」仕えて下さったことを思い起こそう。

◇それにしても、妻に対して「夫に仕えなさい」と言っているのは、妻であり母である女性たちには、家庭などにおいて愛を創造するという務めが託されており、その能力(賜物)があるとパウロは言っているのではないか。女性たちのそういう尊い奉仕によって、家庭や社会は支えられている。誰もがそういう創造的で能動的な愛の業を、「キリストにならって」行ってほしいとパウロは言うのだ。

◇6:1では子供たちは「両親に従いなさい」と言われている。「父と母を敬え」は十戒の戒めの一つであるが、むしろ親たちがこれを心に留めたい。ルターは「父母は地上で神の権威を示す大使の務めがある」と言った。創造主なる神に従う姿勢をまず親たちが示すことによって、子供たちに本当に大事な権威があることを伝えたい。その唯一絶対の権威のもとで家族が一体となり、互いに「仕え合う」こと、それが聖書の教える家族と社会の「仕合わせ」だ。それを宣べ伝える責任が教会にあると覚えたい。

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