礼拝説教


2010/6/27 聖霊降臨節第6主日礼拝

       「イエスのそばに」

坂下 道朗先生(阿佐谷東教会)

マルコ福音書3:7〜19


◇ここに非常に対照的な二組の人々が出てきます。 まず「イエスのしておられることを聞いて」各地から集まってきた大勢の群衆です。彼らは病気をいやされたイエスの評判を耳にして、押し寄せてきました。自分の病気もいやしてくれるにちがいないと信じて押し寄せます。何とかしてその力にあずかりたいと思うのです。

◇もう一組の人々が12人の弟子たちです。「これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まってきた。」人たちです。群衆とは違って「呼び寄せられた」のです。おそらく誰もが皆、群衆のような思いを持って集まっています。けれども信仰をもって主に従うということは、私たちがイエスのもとに押し掛けることではないということです。

◇教会という共同体は、集まった者の集いではなくイエスによって呼び集められた者たちの集いです。12人は、彼らの資質、能力、業績によって選ばれたのではありません。12人は、そして私たちは、ただイエスに呼び集められたというだけで、弟子に していただいたのです。

◇イエスが弟子を選んだ理由は「彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。」という。宣教はすぐにわかります。「悪霊を追い出す」これは奉仕でしょう。その前の「そばに置く」というのは何でしょう。これは「礼拝」のことではないかと思います。主イエスのそばにいて、御言葉を聞き、祈りと賛美をする。そこで訓練されて、御言葉と御業の証人として遣わされるのです。

◇教会には、目を見張る活躍をした者やよい成果を残した者が集められているのではありません。また知識が豊富で、賢い人物が集まっているのではありません。ただ主のそばにいて、主イエスとの交わりの中に生きること。御言葉と御業の証人となるために、集められているのです。礼拝において主のそばにいて、交わりがあればこそ、わたしたちは宣教と奉仕の使命を十分に果たすことができるのです。

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