礼拝説教


2010/6/6 聖霊降臨節第3主日礼拝

       「思いを一つにすること」

          

牧師 大村  栄

使徒言行録4:32〜5:11


◇「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」(4:32)。初代教会においては、原始共産制的な生活がなされていた。しかしすでに「原始」時代とは違うから、完全平等な社会を形成することは教会も無理だった。その象徴とも言うべき事件が、アナニヤとサフィラ夫婦の事件である。

◇アナニヤは自分の資産を売って、その代金の一部を持参し、これがすべてですとごまかした。しかしペトロは、「3:アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。…あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」と糾弾し、アナニアはその場で倒れて息絶えた。あとから来た妻のサフィラも同じことを答え、彼女もその場で死んでしまった。

◇「信じた人々の群れは心も思いも一つにし」、という初代教会の姿は私たちも取り戻したいが、それは持ち物を共有することではない。家族的な共同体形成も、その最小単位である夫婦の実態をアナニアとサフィラに見るならば、彼らの偽証における共犯関係に人間の弱さと限界があるのを感じる。

◇私たちがこの夫婦から逆説的に学ぶべきは、彼ら夫婦の一致の基礎に、土地の代金をごまかしたという「罪悪感」があったこと。この「罪意識」こそが人間を強く結びつけるのではないか。教会は「罪人の共同体」。しかしそれは「罪人の共同体」にとどまらない。教会は「神によって赦された罪人の共同体」としての信仰共同体なのである。

◇ペンテコステに行われたペトロの説教。「38:悔い改めなさい。めいめいイエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(2:36-38)。この罪の自覚と悔い改めこそが、教会の信仰共同体の原点であり、それに対する主の赦しの宣言、これを託されて行うことが教会の使命である。

◇アナニヤとサフィラが息絶えたのを見て、人々は恐れた。神の裁きを見たからだ。教会はこの「おそれ」を持ち続け、宣べ伝えてきた。私たちもまた。

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