礼拝説教


2010/5/16 復活節第7主日

       「教会はキリストの体」

          

牧師 大村 栄

エフェソ書1:15-23


◇ パウロはエフェソ教会の信徒が「15:主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛している」ことを感謝する。キリストを信じ、互いに愛し合う、「信仰と愛」、その両方が正しく行われるところが教会である。そしてパウロは教会の信仰がさらに成長し、「19:信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力」の偉大さを悟ることができるようにと祈る。

◇神の力に生きた生涯のモデルをキリストに見る。「20:神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、21:…あらゆる名の上に置かれました」。招詞に読んだフィリピ書2:6-8「キリスト賛歌」の後半、「8:神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」に近い。先週13日(木)はキリストの「昇天日」だった。主はこのように栄光の内に天の高みに挙げられた。

◇昇天は地上の一箇所におられた主が、普遍的な存在となるための変化でもあった。ただし無秩序に分散しているのではない。神は「22:キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました」。復活の主は世界の教会のかしらとして世に存在する。「23:教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」。教会はキリストをかしらに頂く体として、キリストの栄光を世に照り輝かせるのである。

◇しかし同時に私たちは「キリスト賛歌」の前半も忘れてはならない。「6:キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず…、8:へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。キリストが「高く上げ」られたのは、それに先立つこの謙遜と服従があったからだ。この相反する二つの性質の中に、教会が持つべき「信仰と愛」の本質を見る。

◇「教会はイエスのおからだです。みなさまはいま、おからだのなかへ、おはいりになっているのです」(山本沖子姉「おからだ」より)。「信仰と愛」に満ちた教会の胎内に身を置く時に、人はぬくもりのある慰めと平安を得、自分を生かして下さる神の力への信頼を得る。そのような教会を形成していきたい。

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