礼拝説教


2010/4/25 復活節第4主日

       「僕きく、主よ語りたまえ」

牧師 大村  栄

サムエル記上3:1〜9


◇少年サムエルは祭司エリの下で主に仕えていた。「神の箱」の番をして神殿に寝ていたある夜、「サムエルよ」と呼ぶ声がしたので、エリに呼ばれたと思って行ってみると、「5:わたしは呼んでいない」。そんなことが三度も続き、霊的直感を持ったエリはサムエルに、「9:もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい」と命じ、少年は教えられた通りに応えた。

◇「9:主よ、お話しください。僕は聞いております」(文語体「僕きく、主よ語りたまえ」)は祈りの本質を表している。主イエスは「8:あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」と言い、「9:だから、こう祈りなさい」と『主の祈り』を教えられた(マタイ6章)。「御名、御国、御心」と、あらゆる領域において神の意志が実現することを願う。自分の要求を突きつけるのではない。神のご計画を信頼してお任せする。その信仰が祈りの基礎だ。「僕きく、主よ語りたまえ」が、「僕語る、主よ聞きたまえ」となってはいけない。

◇主がサムエルに語った内容は、祭司エリの息子たちの罪を指摘し、それは「14:とこしえに贖われることはない」という厳しい裁きだった。少年は当然「15:このお告げを伝えるのを恐れた」が、エリはすべてを語るようにと命じた。子育てには失敗したエリだが、彼の姿勢には学ぶべき点もある。彼はサムエルに「私にではなく、神に聞け」と命じ、神の言葉の前に、師弟の差を超えて共に頭を垂れ、聞いて受け入れる。ここに新しい人間関係がある。

◇「1:そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」とあったが、これ以後神が預言者を通してみ心をお示しになるようになった。サムエルは未熟で、エリは失敗も多くそして老いていた。しかし彼らの間にしっかり伝達された「僕きく、主よ語りたまえ」の祈りの姿勢において、これ以後もシロの聖所でみ言葉が与えられた。

◇私たちの「シロ」は、この教会であり、礼拝である。「僕きく、主よ語りたまえ」の祈りを結集する聖所としての教会であり、そこに神の言葉が与えられる礼拝でありたい。

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