礼拝説教


2010/2/21 受難節第1主日礼拝

       「十字架、新しい契約のしるし」

牧師 大村  栄

エレミヤ書31:27〜37  


◇「34:その時、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない」。不条理な苦難に直面した時や、運命的悲劇を体験した時などに、人はその苦難の意味を知ろうとする。昔から因果応報、勧善懲悪などがその「意味」として論じられてきた。しかしそれは主の真意を知ることではなく、人間的な理屈で無理矢理納得し、説得しようとすることだ。それに対して聖書の告げる神の真意は赦しと愛である。「34b:わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」。

◇それは「新しい契約」が結ばれることでもある。かつて神はイスラエルの民と契約を結んだ。それは民が神を第一とするならば、神は民を守るというものだった。しかし民はこれを守ることが出来ず、神の庇護を受けられなくなった。ところが神はなおも神の側から契約を更新すると申し出て下さった。

◇「31:見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる」。その「新しい契約」が結ばれ、それによって主なる神の本質である愛と赦しを知る時が来る。その時がいつ、どのようにして到来するかは、預言者エレミヤには告げられなかったが、私たちは知っている。それは神の子イエス・キリストの誕生と共に到来し十字架と復活によって完成したのだ。

◇「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」(Ⅰコリント11:25)。ここに神の子の血によって打ち立てられた神ご自身の「新しい契約」の完成がある。聖餐式は、神がみ子を通して新しいイスラエルである教会の民と締結して下さった「新しい契約」を繰り返し更新する時である。

◇「新しい契約」のしるしなる十字架のみもとで、私たちは神の御心を深く示される。世界の苦難の中で因果応報・勧善懲悪などと問題を安直に片付けてしまうことなく、その背後に、人間の判断や理解を越えた神の深い配慮があると知って希望を得る者でありたい。神のご意志である愛と赦しを知るまことの知恵、すなわち「主を知る知識」をもって生きる者であり、分かち合い、宣べ伝える者でありたい。

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