礼拝説教


2010/2/7 降誕節第7主日

       「本当のいやし」

牧師 大村  栄

マルコ福音書2:1〜12  


◇主イエスが神の言葉を語っていた家で、一人の病人が床に寝たまま屋根からつり降ろされてきた。主はその病人に、「5:子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。人々は「罪の赦し」より「病の癒し」の宣言とその成就である奇跡を期待したであろう。しかし主は、この人に本当に必要なのは「癒し」よりも「赦し」だと思われたのだ。

◇「罪の赦し」とは何か。聖書で言う罪とは神との正しい関係に生きることが出来ない状態。その罪の結果で病気になるのではない。しかし病気になると私たちは不安になって望みを失う。神による希望を持たず、絶望した状態を罪と呼ぶ。病気の原因が罪なのではなく、病気になると罪人になるのだ。

◇彼に対して主イエスが、「5:子よ、あなたの罪はゆるされる」と言われたのは、「わたしがあなたと神との関係を取りもつから、あなたの罪はゆるされた。神は決してあなたを見捨てない」との宣言だった。続いて主は「10:人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と言い、中風の人に向かって、「11:起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と癒された。つまり病の癒しは、神との関係回復をもたらす「罪を赦す権威」がキリストにあることを示すためのしるしだったのだ。

◇病が癒されなかったとしても、主に出会った人には、どんな病も「死に至る病」ではなくなる。キェルケゴールは「死に至る病」とは絶望のことだと言う。病の重さ軽さに関わらず、それによって人が絶望に陥るなら、それは「死に至る病」だ。しかしたとえ不治の宣告を受けたとしても、そのことに絶望していないなら、それは「死に至る病」ではない。

◇キリストによって病は、もはや戦うだけの相手ではなくなった。かと言って放り出して逃げてしまうのでもない。「死に至る病」から解放された人は、自分の新たな課題として病に直面する。「11:床を担いで家に帰りなさい」と命じられた主イエスが、それを担う力を与えて下さる。人間的には弱さの極みにあっても、肉体の限界を突き抜けて永遠に続く神の愛に身をゆだねた信仰による真の平安がある。それが聖書の告げる「本当のいやし」なのである。

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