礼拝説教


2010/1/31 降誕節第6主日

       「パウロの回心」

牧師 大村  栄

使徒言行録9:1〜20  


◇熱狂的ユダヤ教徒であったサウロ(パウロのユダヤ名)はキリスト教徒を迫害し、それを避けてキリスト教徒たちは北へ南へと逃げた。北へ逃げたキリスト者を追跡して捕まえ、連れ戻すためにサウロはダマスコへ行こうとしていた。その時、「3:突然、天からの光が彼の周りを照らした。4:サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた」。

◇「5:主よ、あなたはどなたですか」と問うと、「5:わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と答えがあった。このあと激しい叱責の言葉や裁きの宣告がなされる、サウロはそう思ったに違いない。しかし続く言葉は「6:起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」だった。過去の行為を非難せず、「許してやるかわりに…」と条件を言ったりもしない。ただ新たな使命に派遣する。これこそ完全な罪の赦しと言える。

◇社会では罪を犯した者はつぐないによって罪を赦され、罪を犯す前の状態に戻ることができる。しかし、主イエスの赦しは罪を犯す前の白紙の状態に戻る以上に、新たに生きる道を示されてそこに送り出される。罪の償いはすでに十字架において実施されているからだ。赦しの条件を提示されてもそれを実践することは不可能な私たちだが、「我をこのままに救い給え」(讃美歌511)と祈ることができる。

◇迫害を避けてダマスコに逃げていたアナニアは、失明した迫害者サウロの目を癒せと命じられて躊躇するが、神は「15:あの者は…わたしが選んだ器である」と言ってアナニアを遣わす。後に偉大な伝道者となるパウロは、その時ダマスコの「直線通り」の家でアナニアの到来を待っていた。「11:今、彼は祈っている」。アナニアは彼に赦しを宣言し、手を置いて癒し、ここに神の赦しと派遣が成就した。

◇私たちの周囲にも神に罪を赦しを求め、新たな命の道へと派遣されるべく、祈りつつ待っている人々がいる。私たちは自らが十字架のあがないによって罪を赦された者として、罪の赦しを宣べ伝える者でありたい。「直線通り」の先で、祈って待っている人に心を向け、手を置く者として用いられたい。

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