礼拝説教


2010/1/24 降誕節第5主日

       「愛を信じる決断」

牧師 大村  栄

マルコ福音書1:14〜20  


◇主イエスの宣教の第一声は、「15:神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。「国」は領域でなく支配。もちろん天地創造以来、神の支配の元にある世界だが、今ここに神の直接行動が開始した。

◇ バプテスマのヨハネも同じことを言った。「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3:2)。更に彼は「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」(3:7)と警告した。ヨハネにとって神の直接行動とは裁きであり、怒りであり、「悔い改めよ」はその怒りの前に身をただせとの警告だった。

◇裁きの日の到来を叫んだ預言者ヨエルの言葉もそれと似ている。「ああ、恐るべき日よ、主の日が近づく。全能者による破滅の日が来る」(ヨエル1:15)。しかし主イエスの第一声は異なる点がある。「福音を信じなさい」が加わっていることである。

◇ 神の直接行動開始のニュースは「福音」(良い知らせ)であると主は言い、民に神の愛を語り、それを実践された。ヨエルが言う「主の日」は、緊張して迎えるべき裁きの日であったが、キリストによって、その日は神の愛を受け、それにゆだねて生きることを始める日となったのである。ただし神の愛には保証がない。だから福音を「信じなさい」と言われる。しかし「愛を信じる決断」によってこそ、信じる者の内に大いなる変化が起こるのである。

◇後半の弟子の招きにその実例を見る。「わたしについて来なさい」とイエスに招かれて「18:すぐに網を捨てて従った」シモンとアンデレ、「20:父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して」ついて行ったヤコブとヨハネ、彼らは「15:悔い改めて福音を信じなさい」との言葉に突き動かされて、神の愛を信じよう、神の愛を示すこの方に従っていこうと、人生の方向転換(=悔い改め)を決心したのだ。

◇彼らは家族や家庭の責任を放棄したのではない。「自分が何とかせねば」との焦りから解放され、思いわずらいを捨てて主にゆだねたのである。愛の主が最善をなして下さると信じる、おおらかな楽観主義と言えよう。そういう豊かな人生への歩み出しを促されるのが今日「主の日」の体験なのである。

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