礼拝説教


2010/1/10 降誕節第3主日

       「葦の海の奇跡」

大村 栄 牧師

出エジプト記14:15〜31


◇ イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトから脱出した。一行が「葦の海」と呼ばれる海岸まで到達した時、彼らを追撃するエジプトの軍隊が押し寄せた。人々は非常に恐れて「こんな荒れ野で死ぬより、エジプト人に仕えていた方がましだ」とモーセに文句を言う。現在の危機の前で、過去の神の恵みへの感謝と信頼を忘れてしまっている。

◇モーセは「14:主があなたたちのために戦われる」と叫んだ。まるで自分自身に言い聞かせているような言葉であり、神への祈りでもある。しかし主はモーセに言われた、「15:なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい」。祈りつつ、立ちすくんでいるモーセに、「出発させなさい」と前進を命じられる。立ち止まっていないで足を踏み出せ。そうすれば救われる。

◇祈りが無駄なのではない。それは私たちの信仰生活の宝だ。前には海、後ろには敵、そして内側には恐れ。そういう八方ふさがりの時にも、神に通じる祈りの道が上に空いている。水平の世界に行き詰まっても、垂直の世界に羽ばたくことが出来る。信仰者は「敬神愛人」の横軸と縦軸の世界を生きる。祈りは立ちすくむことではない。現実におびえ憶することなく、縦軸を座標にしてこころを高く上げ、み言葉に聞き従って前進する者とされるのである。

◇阿佐ヶ谷教会は「低迷」の時期を過ごしていた40年前に、一歩踏み出して大島藤倉学園のワークキャンプを行い、そこから教会の歩みを整えていった。76年前には、創立者の平岩牧師が急死して八方ふさがりの中で、5名の者たちが小さな祈祷会を持ち、そこでの祈りが阿佐ヶ谷教会の再建の礎となった。

◇祈りは行動をもたらし、行動を支える。祈りによって行う行動は神の業である。主はモーセに「16:杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる」と命じられてその通りになった。「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(?Tコリント15:58)。そのような行動に生きるのが我らクリスチャンだ。

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