礼拝説教


2009/12/27 歳末礼拝

       「恵みの年にするために」

伝道師 五十嵐 成見

ルカ福音書2:25〜40


◇ シメオンは「メシアにあうまでは決して死なない」(26節)が暗示しているように、おそらく高齢だった。けれども、福音書は何度も、シメオンに「霊」という言葉を使う。福音書記者は、シメオンが齢を重ねる中で、神の霊に委ねる・霊に生かされている信仰の姿を描いていたのであろう。

◇霊とは、私達」の力を超える神の働きだ。人間の力、能力という言葉の反対だ。年を重ねれば自由は以前よりもなくなる。思うように体を動かせないことも出てくる。シメオンもまた同じだっただろう。自らのいのちが長くないということを知らされている現実もあったのかもしれない。しかしそのシメオンにこそ、神の霊は留まる。齢を重ねれば重ねるだけ、神の霊の導きに生かされることのありがたさ、豊かさ、尊さをシメオンは知っていた。神の力は、人間の限界や衰えの中にこそますますいきいきと発揮される。聖霊は、私たち自身の意志や気力を問題にせずに私達に留まってくださる。自らの霊が衰えようと感じていても神の霊は決して私達から離れない。

◇12月19日に天に召された木下昌子姉。葬儀における親族の挨拶の中で、ご長男が、木下姉の召される数時間前、湖畔に日の光が差し込む穏やかな安らぎに満ちたイメージを頭に思い浮かべられたという。その後、木下姉は安らかに眠るようにして召された。木下姉は、まさにシメオンの讃歌を自らの歌として天国へと凱旋されていった。「主よ、今こそあなたはお言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます」(29節)。この平安がある限り私達は生き続ける事が出来る。死や別れ、決別を経ても、なお私達は神の平安を信じて生きていくことができる。

◇今日も私達は、キリストの礼拝(クリスマス)をささげている。この1年もまたいろんなことがあったけれども、あの時この時に、実は神の秘められた祝福が私を支えてくださったことを思い起こす。「私のような僕を、お言葉通り安らかに去らせてくださいます」と祈りながらこの会堂を後にすることが出来る。私達もまたこのシメオンのようにひたすら信頼を持って神を讃美することが、この1年を終え、新しい1年を迎えるに最もふさわしい行為だ。
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