礼拝説教


2009/12/13 待降節第3主日礼拝 

       「天のとびら今しも開かれ」

大村 栄 牧師

マルコ福音書1:1〜11


◇洗礼者ヨハネはヨルダン川で「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3:2)と叫び、主の前に謙虚であれと命じた。人々は心動かされ「5:ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」。そこへ主イエスも現れて民衆と共に洗礼を受けた。

◇神の子はクリスマスに人の子として生まれ、その一端としてここでも、最も無力な人間の一人としてヨハネの前にひざまずき、彼からバプテスマを受けた。そしてそれが神の御心に適い、天から聖霊が鳩のように降り、「11:あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神の承認が与えられた。

◇この後に、イエス・キリストは40日間荒れ野でサタンの誘惑にあう(12-13節)。洗礼を受けてから試練に遭うのであって、その逆ではない。洗礼は試練を克服して卒業証書を貰うことではない。自分は無力な人間ですからこれから生涯、神に信頼し、委ねて生きていきますと宣誓することなのである。むしろ洗礼を受けた後にこそ、私たちは様々な試練や誘惑と直面する。しかしそんな時に、洗礼を受けているからこそたじろがず、神が最善をなして下さることを信じて平安を得ることができるのだ。

◇「11:わたしの心に適う者」、言い換えると「御心に適う者」。ベツレヘム郊外で羊飼いたちに注がれた、あの天の軍勢の讃美を連想する。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)。「御心に適う人」とは特別な能力を持った人のことではなく、ひざまずいて神に従い、信頼する人。そのような人々によって、「地には平和」がもたらされるのだ。

◇ヨルダン川で主イエスこそが「御心に適う人」であることが明らかになったその時、「10:天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って」来た。この時天国の門が開けた。讃美歌102「もろびと声あげ喜びたたえよ。あめのとびら今しも開かれ、つきぬ恵みを身に帯び給いて、きよきみ子は生まれたもう」。天国の扉を開き、そこへと向かう道を示すために、クリスマスに来て下さったのがみ子イエスである。

◇そのみ子を下さった神に全身全霊を委ね、そのしるしとしての洗礼をキリストと共に受け、キリストによって開かれた天国に帰る。そのような生涯をたどるのがクリスチャンなのである。

 
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