礼拝説教


2009/10/18 全家族礼拝 

       「雨の恵み」

牧師 大村 栄 

申命記11:8〜12


◇モーセに率いられてエジプトを脱出し、カナンに向かうイスラエルの人たちに、そこは「9:乳と蜜の流れる地」だと言われた。乳を出す牛などの家畜、蜜を出す花や草が豊かに育っているという意味だ。そういう土地を神さまが与えて下さるのだ。

◇そこは「10:あなたたちが出て来たエジプトの土地とは違う。そこでは種を蒔くと、野菜畑のように、自分の足で水をやる必要があった」。エジプトでは懸命に水路を掘ってナイル川から水を引いてこなければいけなかった(灌漑農業)。しかしこれから入っていくカナンの地は「11:天から降る雨で潤されている」ので楽だという訳ではなく、実はナイル川のような水源がないから水路を掘ってもむだで、雨に頼るしかない(天水農業)という不安な環境なのだ。

◇自分では何も出来ず、ただ神さまにおまかせするしまない。そういう中でこそ、人は神さまへの信頼が深まる。「12:それは、あなたの神、主が御心にかけ、あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで常に目を注いでおられる土地である」。自分で頑張らなきゃいけない、でも頑張れない。そんな時も神さまが「常に目を注いで」下さると信じよう。

◇注がれるのは目だけではない。「神の愛が私たちの心に注がれている」(ローマ書5:5)。神様は世界に愛を注いでくださる。そのしるしが、クリスマスにベツレヘムの貧しい馬小屋に生まれたイエスさまだ。

◇そのイエスさまの言われた言葉、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5:45)。神の愛は雨のように、太陽の光のように、すべての人に等しく降り注ぐ。立派な御殿にも貧しい馬小屋にも等しく注がれる。それと同じくイエスさまはどんな人でも全ての人のところへ行き、一緒にいて下さる。

◇神さまの愛がそうやってイエスさまを通して注がれているから、私たちは「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ5:4)と信じられる。そここそ希望がある。私たちの人生と世界の出来事に、必ず神さまが雨の恵みのように、常に目を注ぎ、愛を注いでおられることを信じよう。信じておまかせ出来る幸いを感謝しよう。

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