礼拝説教


2009/10/11 神学校日・伝道献身者奨励日礼拝 

       「わたしの恵みはあなたに十分である」

東京神学大学講師 焼山満里子先生

Ⅱコリントの手紙12:1−10


◇キリスト者は日本の人口の1%に満たない。せめて10%になれば社会にキリスト教的理想を訴えられるだろう。それを促す伝道の基本は、各自がそれぞれキリスト者として生かされて良かったという証しを立てることだ。星野富弘さんには「汚い寮の貧しい食事を感謝の祈りをして食べていた」大学の先輩がいた。後に大怪我をした時に彼はその先輩が聖書をくれた聖書を読んでキリスト者になった。先輩の祈りの姿を思い出したからだ。

◇12章の前半で語られる、「4:楽園にまで引き上げられ」るような素晴らしい啓示を受けた人、それはどうやらパウロ自身のことらしいが、彼はその体験を「5:誇るつもりはありません」と言う。「7:わたしの身に一つのとげが与えられた」。パウロを苦しめたその「弱さ」をむしろ誇ると言う。

◇彼が主の言葉、「9:わたしの恵みはあなたに十分である」を受け入れ、「10:わたしは弱い時にこそ強い」と言いうるのは、キリストが弱き者、小さき者のために十字架で死なれ、その弱さの極みにおいて神の力が働いて復活されたからだ。

◇十字架において示された神の愛は、弱さを通して働く。このキリストの十字架と復活への信仰によって、パウロは自分の弱さを生き抜き、また他者の弱さに共感する者となった。「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか」(11:29)。神の愛を語る伝道者は、伝道者自身が弱さを体験させられ、それゆえに他の人の弱さが分かり、さらにそこに神の力が働いて弱さが強さに変えられることを経験する。

◇私たちも色々な弱さを経験し、「このとげを去らせて下さい」と必死に祈ることがある。自分の経験する弱さの理由が分からず、なぜですかと叫ぶこともある。しかし私の慰めは、全知全能の神が私のすべてを知っておられ、私の人生をみ手に置かれ、「わたしの恵みはあなたに十分である」と言ってくださることだ。神のなさることの全体像を知らなくても、「始めであり、終わりである」この方が「良し」と言って下さることを受け入れよう。弱さの中で神の愛を証しする者でありたい。

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