礼拝説教


2009/9/27 聖霊降臨節第18主日礼拝 

       「神に愛されている」

牧師 大村 栄


◇マタイ19:16以下に、「先生、永遠の生命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と問うた「金持ちの青年」の話があるが、何をすればよいのかという<条件>を問うのではない。「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい」(5:1)。すでに自分が「神に愛されている」ことを知って、その愛に応えて生きることを主は私たちに望んでおられる。

◇そのような「新しい生き方」(小見出し)を始めた人のことをパウロは「光の子」と呼ぶ。「8:あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい」。光源は神の愛にあり、そこから「9:あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」。これに照らされ、それを反映する者となるために、私たちは「主に結ばれて、光となった」のである。

◇先週の全体修養会では、教会標語の主題と副題「礼拝に生かされる私たち」をめぐって2日間にわたるグループ別懇談を行い、その「まとめ」を3日目の午前に聞いた。礼拝を中心とした信仰生活において私たちは、「恵み(神からの賜物)に生かされる」体験をするが、それを反射して「恵みを生かす」働きへと送り出されたい、というまとめを聞いた。初日の晩祷では船本弘毅先生が母校関西学院の校章が三日月であることを紹介し、月は太陽の光を受けて輝く反射体である。私たちも神の愛の光を照らして生きる者であると語られた。

◇「光の子」であるキリスト者は世の闇を照らし出す務めがある。修養会の主題講演で私は、キリスト者がクリスチャン・プレゼンスを発揮して、社会の底支えとなっていきたいと語った。教会は糾弾(バッシング)型の社会活動を推進するのではない。私たちが暗闇を照らすことの基準は「10:何が主に喜ばれるかを吟味しなさい」。ここにある。

◇社会の闇どころか自分自身の闇に悩む私たちだが、「14:眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ」と呼ばれる復活の主に日曜日ごとにお会いして立ち上がろう。「14:そうすれば、キリストはあなたを照らされる」。

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