礼拝説教


2009/8/16聖霊降臨節第12主日礼拝 

       「神への不満」

牧師 大村  栄

ヨナ書3:1〜4:1


◇ヨナは悪の都ニネベに行き、神の裁きを警告せよと命じられた。ニネベは後にユダヤ人が捕囚にされたバビロンを象徴する。ヨナがそこへ行くのは、戦争直後に敵地に伝道せよと命じられるようなものだ。だからヨナは命令に背いてタルシシュ行きの船に乗った。しかし神は嵐によって彼を連れ戻し、再びニネベに向かわせた。

◇「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる」。ヨナの告げるこの言葉を聞いたニネベの人々は、「神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった」。そして「神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた」。

◇ヨナはこれを不満に思った。あんなひどい連中でも悔い改めれば許すのか。このような批判は私たちの周りにも常にある。キリスト教は楽観的で甘すぎると。ユダヤ人においてさらに深刻なのは「選び」の問題。神はイスラエルを選び、十戒による契約を結んだ。しかし今神は契約の相手ではない異邦人にも憐れみを注いでいる。彼はこのストレスに耐えられず、死んでしまいたいと言う。

◇日除けになっていたとうごまの木が枯れて嘆くヨナに、神は「おまえがたった1本のとうごまを惜しむなら、私が12万人以上の人間と無数の家畜がいるニネベを惜しまないことがあろうか」と諭す。人間の種類や質によってではなく、神はその命自体を尊びたもう。悪辣非道なアッシリアがどうして滅びないのか。その後の歴史でも、日常の周辺にも、不条理に思えること、怒りを伴うほどに黙視しがたいことが山ほどある。しかし神のなさりようは私たちの理解を超えている。

◇ぶどう園で早朝から働いた者にも遅く来た者にも等しく賃金を支払う主人は、それへの批判に対して、「わたしの気前のよさをねたむのか」(マタイ20:14)と言う。遅れて来た者にも同じ恵みを注ぐ憐れみ、忍耐、すなわち不条理なほどの神の愛にこそ、世界の希望があるのだ。私たちは神の愛のあり方を、自分自身の小さな愛の基準で過小評価するする過ちを犯していないだろうか。

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