礼拝説教


2009/8/9聖霊降臨節第11主日礼拝(平和聖日) 

       「平和を実現する」

副牧師 姜 キョンミ

マタイ福音書5:9 
  民数記6:24〜26 


◇平和は戦争の対立語ではありません。人間を不安に陥れるものすべてからの解放が平和であり、平安であります。わたしたちは、主イエスに地の塩になれと言われています。塩は大量を要しません。少数で重要な働きが出来るはずです。今必要な正義と平和を世に証していかねばなりません。イザヤ書32章17節に語られているように、真の平和実現のために地の塩として働きたいと願います。

◇日本基督教団の「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」の中に「世の光、地の塩である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました」という文章があります。教団に属する私たちの罪について懺悔を公にしています。主の民もかつて愚かなふるまいをしてしまったのです。だからこそ、二度とそのような愚かなふるまいに戻らないようにしたい、その願いが込められている文書だと思います。

◇旧約の「平和」と訳されるヘブライ語はシャーローム。それをもたらすのは誰か。旧約では、シャーロームをもたらすのは人間ではなく、神です。神がシャーロームをもたらす以上、人はそれを信じて待つほかはありません。

◇「平和を実現する」の原語は「平和を造り出す」です。平和はもともと敵対するものを「和解させる」という意味です。コロサイ人への手紙1章20節に見事に言い表わされています。ここには、人間同士だけではなく、人と神と自然とが、イエス・キリストの贖いの血によって、平和と調和が生み出されることが語られています。

◇平和について語るとき、これ以外に決して忘れてはならないこと、それは神と人との間に築かれる平和です。その平和は、私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエス・キリストを救い主として信じ罪赦される時に与えられます。私たちは神さまと和解したときに本当の平安を得ることができるのです。

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