礼拝説教


2009/7/26聖霊降臨節第九主日礼拝 

       「本当の権威とは何か」

牧師 大村  栄

マタイ福音書8:5〜13


◇「百人隊長」は100人程度の軍団を率いる占領ローマ軍の中隊長。こういう士官が地方都市に駐留するほどに、当時のローマ帝国の占領統治はユダヤ全土にくまなく及んでいた。彼は被占領民のイエスに信頼を寄せ、部下の重病をいやしてほしいと願った。そして「9:わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます」と言った。これを聞いて主が彼の信仰を高く評価されたのはなぜか。

◇軍人の死生観に関係すると思われる。戦争において軍人の命は、攻撃や防衛のための武器や道具と化す。教会員ではM.Mさん、S.Mさん、S.Kさんなどが戦地でそのような体験をされた。死なかったのは奇跡と言えるほどだ。

◇1882(明治15)年の「軍人勅諭」によれば、軍人の命は国家に捧げるべきものである。戦争の時代軍人だけでなく、国民の命は道具として提供することが要求され、国家にその権威があることが承認される。「『行け』と言えば行きます」。戦場で「行け」と命じるのは「死ね」ということだ。上官が死ねと言えば死ぬ。それが国家の権威に忠節を誓う軍人のつとめだ。戦後民主主義の時代に育った者には理解できないことだが、これは人類の歴史の中で繰り返されてきたことだ。

◇しかしキリストは国家や民族よりもっと大きな権威に服従しておられる。そしてその権威は「死ね」と命じる権威ではなく、「生きよ」と命じる権威だ。そのことを直感した百人隊長は、「8:ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」と懇願した。キリストの権威は人を生かす権威だということを直感した。その洞察を主は評価されたのである。

◇しかも神はキリストの復活を通して、肉体の死の先にまで永遠の命に生きる道を確立された。ここに私たちの帰属する真の国家、神の国があり、地上の権威を超えて従うべき権威がある。これによって他のいかなる力にも脅かされない。「わたしは誰を恐れよう」(詩編27:1)と謳いつつ歩もう。

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