礼拝説教


2009/6/14 ユースフェローシップ礼拝 

       「ここに光がある」

伝道師 五十嵐 成見

マタイ福音書5:13〜16


◇私が幼少に通った教会学校の先生は、慎ましやかな声も細い普通のおばあちゃんだった。でもあの方は、教会学校の礼拝に溶け込む「地の塩」であり、私の信仰を優しく照らし出してくださる「世の光」だった。そして、私にとってのそのおばあちゃんのような存在が、全ての人のうちに生きているはずだ。

◇「あなたがたは、地の塩、あなたがたは、世の光」主イエスはそういわれた。この御言葉は私たちに向けて宣言されている。あなたがたは地の塩だ。あなたは世の光なんだと。私たちは、神の地の塩・世の光とさせられている。たとえ私はそんなものじゃないと思っていても、それがもう神の真実なのだ。

◇だから私達は、神によって地の塩、世の光とされている事実から始めていこう。愛されたいとばかりだだをこねて不満を露わにする子どもの幼稚さよりも、愛するための忍耐を学ぶ成人の成熟さを身につけよう。口にする言葉を人間の不平不満に満ちさせるよりも、同じ口を持って人のうちにある賜物を掘り出すような言葉を語りかけよう。私達は語られた言葉の通りに生きる。そして語った言葉の通りに生きる。自分に引け目を感じていても、人から真心からあなたは優しいねといわれると、その人のうちにある隠された良さが芽を出す時が訪れる。

◇いや、たとえ言葉にいえるほど器用じゃなくてもいい。まなざしを向けるだけでいい。あなたを愛しているというまなざしを向け続けよう。それは時として言葉で語るよりもはるかに難しい。しかし、そのまなざしが、いつか人を神のもとへと導く。神の光に照らされた地の塩・世の光である人の光によっても、人間のいのちは花開いていくのだ。

◇光によって、私達は初めてそこにある存在を確かめることが出来る。そして光によって、私達は初めて、それがモノではなく、いのちだということを知る。闇は人をモノに貶める。人をモノ扱いする世界は闇の世界。しかし神の光は人間がいのちそのものであることを明らかにする。人間はいのちそのものであると宣言する世界、それが神の光に照らされた世界。そしてこの神の世界こそが、教会だ。

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