礼拝説教


2009/5/10 復活節第5主日 

       「我は道なり、真理なり」

牧師  大村 栄

ヨハネ福音書14:1〜11


◇ヨハネ14章はキリストの決別説教。地上を去って天に帰る際に弟子たちに語られたこの説教の目的は、主が天へ帰ることの理由を語り、弟子たちの不安を取り除くことにある。それは「あなたがたのために場所を用意しに行く」ということ。

◇ 被造物の中で人間だけが自分の死を知っていると言われる。死を最期的出来事と感じるが故に焦りを覚え、不安に駆られる。死を意識すると意気消沈し、生きる意欲を失ってしまう。それが人間の本質的特徴である。しかし死の先に更に行く場所があると知った時、人は焦りや不安から解放され、最期まで神に造られたものに相応しく、充実した生を全うすることが出来る。キリストの死と復活に続く帰天はかくも偉大な出来事であった。

◇弟子のトマスは、天国のその場所へはどうやって行けばよいのかを問う。すると主は「6:わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言われた。主は後に十字架で死に、「わたしを通って行け」と身を挺して下さった。

◇主は弟子たちに「4:その道をあなたがたは知っている」と言われたが、トマスは「5:どうして知ることができるでしょうか」と言う。「知る」という言葉の理解が違う。私たちがキリストの道を探し求めて発見し、そこを頑張って歩いていくのではない。もうすでにその道に置かれている自分を発見し、感謝してそこを歩むということだ。母猫に首根っこをくわえられて動く子猫のように、神様につかまれて委ねて生きる。それが「4:その道を知っている」と言われることの意味だ。

◇「いかに幸いなことでしょう、あなたによって勇気を出し心に広い道を見ている人は。嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう」(詩編84:6-7)。私たちは自力でなく、神によって「勇気を出し、心に広い道を見」ることが出来る。その道から遠くにいると思える時にも、「その道をあなたがたは知っている」と呼びかける方がいる。

◇「わたしは道であり、真理であり、命である」と言い、その道を開くために命を差し出して下さった主イエス・キリストご自身である。その道はあらゆるこの世の空しさや惨めさや恐れに勝利する真理と命の道なのである。



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