礼拝説教


2009/5/3 復活節第4主日 

       「心を高く上げよう」

牧師  大村 栄

コロサイ書3:1〜11


◇「もう本当に不可能なのでしょうか。私たち全員が狂気の輪舞を一斉に中止して、お互い車座になって大地に座る、そして無言で待つ、ということは?」(ミヒャエル・エンデ)。

◇ 「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」(マタイ16:26)。「命/Life」の訳語である「<生命> は医学が、<生活>は福祉が担う。教会は<人生>の部分を語ってほしい」(阿部志郎先生)。魂のない抜けがらになって走り続けるのではなく、魂のしっかり詰まった本当の命(Spiritual Life)を生きたい。

◇その命を私たちに与えるために、キリストは十字架に死んでよみがえられた。「1:あなたがたはキリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます」。キリストの十字架に古き自分を滅ぼし、キリストの復活と共に新しい自分を生きる。それが洗礼の意味だ。

◇「2:上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」。「上にあるもの」に心を留めることによって、地上において魂のこもった本当のいのちを生きることができる。讃美歌Ⅱ1「こころを高くあげよう」(由木康先生訳)は2世紀から伝わる礼拝式文「SURSUM CORDA」である。

◇そしてその起源は、「天にいます神に向かって両手を上げ心も挙げて言おう」(哀歌3:41)。「両手を上げる」とは、古代の人々が神に祈る時のかたちだ。「地上のものに心を引かれ」る思いを静め、心を高くあげて、上にある本当の命を祈り求めたい。

◇ 「狂気の輪舞をいっせいに中止して、おたがいに車座になって大地に座る、そして無言で待つ」とは、主の日に礼拝で静まって神の声を聞くことである。それによって自分の魂を正しく取り戻す時である。一週間の生活で少しずつ狂った時計の針を修正するようなものだとも言えよう。 ◇「主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう」(詩編27:1)。そういう確信を取り戻す日曜日でありたい。闇の力におびえて過ごす毎日だが、主の日ごとにここに帰り、主こそが光であり、救いであり、これによって他の何ものをも恐れない確信に立ち帰りたい。



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