礼拝説教


2009/2/1 降誕節第6主日

       「来るべき世での命」

牧師 大村 栄

Ⅰテモテ書4:6−16


◇パウロは若き伝道者テモテに「6:キリスト・イエスの立派な奉仕者」となれと命じる。当時の異端グノーシス主義は、世界は悪と汚れに満ちており、人間はこれと戦い、自らを鍛え、清めねばならないと教えた。しかし聖書は「4:神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはない」と告げる。世界と人間は自分の努力によってでなく、「5:神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです」。この「神の言葉と祈り」に生きるならば、「6:キリスト・イエスの立派な奉仕者になります」。

◇先週1月28日は「記念祈祷会」。阿佐ヶ谷教会は創立9年目の1933(昭和8)年に創立者の平岩愃保牧師が急逝して存続の危機を迎えた。翌年の1月24日(水)の寒い晩に5名の者たちが集まって祈った。その祈りが教会を救った。この5人はその後「キリスト・イエスの立派な奉仕者」としての生涯を送った。

◇その一人、新約聖書学者の松本卓夫先生は、祈祷会をもって教会の危機を乗り切るよう勧め、その夜の祈祷会にご夫妻で出席した。その後広島女学院院長在職中に、時子夫人が原爆によって逝去された。晩年は静岡英和女学院の院長として働き、葬儀は阿佐ヶ谷教会で行われた。日曜学校長だった細田忠蔵兄は、当教会の伝道師だった田沢クニ先生と結婚して静岡でメソジスト教会の農村伝道に従事したが、1945年に台風による安倍川の増水に巻き込まれて水死した。クニ先生はその後永野兄と再婚された。

◇残る二人の若い女性たちの一人は、この祈祷会に出席して霊的に導かれ、青山学院神学部に進むことを決心した川村菊枝先生。卒業後は静岡英和、恵泉女学園、フェリス女学院等でキリスト教女子教育に献身された。そしてもう一人が加藤信子姉。信子先生は他の4人と違って阿佐ヶ谷教会に留まったが、オルガニストとして、また牧愛会(高校生会)教師として大勢の若者たちを育てて各所に送り出した。

◇この方たちの生き方を貫いているものが「信心」英語ではpietyと訳される。それは「神の言葉と祈り」に生きる生活だ。「8:体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心はこの世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となる」。これは地上のいかなる行為に勝って価値あるものだ。私たちの教会生活は、これを目標とするものでありたい。

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