礼拝説教


2009/1/11 降誕節第3主日

       「心によって見る」

牧師 大村 栄

サムエル記上16:1−13


◇イスラエルに王を立てる必要が生じ、最後の士師にして最初の預言者と言われるサムエルを通して人々が神に願い、与えられたのが初代の王サウル。しかし彼は遊牧民アマレク人との戦いにおいて、すべてを滅ぼし尽くせと神に命じられたのに、「上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くした」(15:9)。

◇サムエルが批判すると、「主への供え物にしようと…戦利品の中から取り分けたのです」(15:21)と言い逃れる。サムエルはこれを激しく叱った、「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(15:22、礼拝招詞)。

◇この日以来神はサウルを見捨て、サムエルは二度とサウルに会おうとしなかった。しかしイスラエルの民は王を必要としており、悩むサムエルに、神が次なる王を示そうと、彼をベツレヘムのエッサイの家に遣わし、その息子たちの中から王を選ばせる。最初に見た長男こそ主の前に油を注がれる者だと思ったが、主はサムエルに言われた。「7:人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」

◇七人の息子のいずれも選ばれず、最後に末っ子の羊の番をしている少年が呼ばれると、主が「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ」。やがてキリストにつながる家系の始まりは、一人前扱いされない末息子からだった。弱い者、軽んじられている者を、敢えて選びたもう神のなさりようである。

◇「13:その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった」。ここで初めてダビデの名前が明かされる。それまでは無名の少年だった彼は、主の選びによって、神の偉大なるみ業のために生きる人生を始める。そしてこの日から聖霊が彼に注がれる。

◇私たちも恵みによって神の民に選ばれた。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るように」(ヨハネ15:16)。「心によって見る」主に喜ばれる「実」は目に見えるものではない。「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえ」ではなく、「主の御声に聞き従うこと」である。主に聞き従う決意を内側にしっかりと持ち続けたい。そこに主の霊(聖霊)が働くに違いない。

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