礼拝説教


2008/12/28 降誕節第1主日

       「後から来られる方」

副牧師 姜 キョンミ

ヨハネ福音書1:14−28


◇ヨハネによれば、暗闇の中で輝く光は「人間を照らす光」であり、それはまた、「言の内にある命」であるといいます。そして何よりも万物に先だって、初めにあったものは「言」であったと言います。1節の「初めに言があった」、ロゴスという元の語を、葉っぱの「葉」をつけない「言」、言語の「言」のみの字をもって表現しました。それはこの言葉が世のあらゆる言の葉、飛び交うおしゃべりや単なる言葉とは違う意味であることを表現しています。

◇ただ静的に書いたり、語られたりする言葉ではなく、生ける神の動的な人間への働きかけが力強く明らかにされます。そこで神が暗闇の中にいる私たちに身を向けてくださって、義と愛をもって介入されることが明らかになる場、それがここで言われる「言」にほかなりません。そしてその場はほかならぬ主イエス・キリストであります。

◇神がご自分を明らかにし、人間に身を向けてくださらなければ、人間は知ることができません。その神の恵みをもってご自身がどのようなお方であるのかを聞き示された出来事が、主イエス・キリストの出来事なのであります。

◇ ヨハネ福音書の冒頭の箇所でヨハネがもっとも言いたいことは、18節の、「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」であります。「父のふところにいる独り子である神」、つまり主イエス・キリストこそが、神を示されたのであり、この方こそが世に先立っておられた「神と共なる言」だというのです。言は神であった、そしてこの言が肉となった、だから肉となられた言であるイエス・キリストは、神ご自身にほかならないのだというのが私たちに与えられているメッセージです。

◇「恵み」と訳された言葉はギリシャ語ではカリスと言い、ラテン語ではグラチアと言います。そしてこのグラチアに似た言葉にグラチスというものがあり、それは「無償」、「ただ」を意味します。そして、だからこそ「恵み」なのであります。何かの代価を払って神様から買い取った権利とかそういうものではない。すべてを神様が無償で与えてくださったのです。ですから、私たちはただで罪と死から解放された命を生きることが出来るようになる。これが恵みなのです。
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