礼拝説教


2008/10/26 天会員記念礼拝

       「真に恐るべきもの」

牧師 大村  栄

マタイ福音書10:26〜33


◇マタイ10章は12人の弟子たちを伝道に派遣する場面。主イエス自ら「16:狼の群れに羊を送り込むようなものだ」と言い、続いて「17:あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれる」などと弟子たちにふりかかる苦難と迫害を予告される。

◇しかしそれでも「恐れるな」と三回励まされ、それに併せてキリストの弟子たち(クリスチャン)が人を恐れないでいられる三つの根拠が示される。その第一は、「26:覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない」という<真理への確信>。

◇第二は本当に恐るべき方を知っているがゆえに、他の何ものも恐れない<勇気>。「28:体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」。肉体の死の先にある第二の死を平和に迎えるためには、本人の努力だけでなく地上に残された遺族の努力(「追善供養」など)が必要と仏教は教えてきた。しかし主イエスは言われた、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。わたしがそれを用意しに行くのだから」(ヨハネ14:1-2)。

◇「魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方」は「救うこともできる方」、生殺与奪の権威を持っている方だ。そういう方を恐れなさいと言う。ただし奴隷が主人を恐れるような恐れではなく、救いをもたらして下さる神へのまったき信頼をもって敬うこと。「恐れる」を「信じる」と置き換えられる。

◇それが第三の、主に知られている<平安>につながる。神は私たちのすべてを知り、支えていて下さるから恐れる必要はない。「29:二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。30:あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。31:だから恐れるな」。

◇「以前は『数えられている』のが苦痛だった。今は『だから、恐れるな』まで含めて理解できる」(故小森厚兄の証より)。人は神に覚えられている自分を自覚した時に、人生の根底を支えられる平安を得る。「わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの」(イザヤ書43:1)。そう呼んで私たちをキリストの代償をもってあがなって下さった主の愛に応ええたい。

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