礼拝説教


2008/8/10  平和聖日

       「殺してはならない」 牧師 大村 栄

出エジプト記20:1−17 


◇先週8月6日は63年前に広島に原爆が投下された日。12万人以上の命が奪われた。3日後の9日には長崎にも投下され、7万4千人が死亡した。その数の多さに圧倒され、感覚が麻痺してくるが、原爆や戦災で家族を失った方々(平岩家など)の個別の話しを聞くと、悲しみや憤りが心に満ちる。

◇しかし決して63年前の戦争だけでなく、もっと日常に近い部分でも命が軽視されている。6月8日に秋葉原で起こった無差別殺人事件。7月には八王子の駅ビル書店で店員の女子大生が刺殺された。加害者たちは一様に「殺すのは誰でもよかった、誰か殺して鬱憤を晴らしたかった」などと言っている。

◇「なぜ人を殺してはいけないか?」の問いに、現代の進んだ文化も明確な答えを出せない。「モラルハザード(倫理崩壊)」という現代語がある。社会の常識や世間体、暗黙の了解的なものは、今や倫理の規準となり得ない。こんな時代にこそ私たちは、神の戒め「殺してはならない」に立ち帰りたい。

◇ただし神に禁じられたから殺さないのではない。人間は命じられた通り行動するロボットではない。 「殺してはならない」はヘブライ語では禁止命令ではなく平叙文で、「あなたは殺さない、盗まない、偽証しない」と訳す方が相応しいと言われる。イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から神に救いを叫び求めて祈ったとき、神はモーセの指導によってエジプトを脱出させて下さった。途中シナイ山でモーセに与えられたのが十戒である。

◇神の愛によって劇的に救出されたこの命を、軽んじることなどあり得ない。「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛す」(イザヤ43:4)。そんなに尊ばれている互いのいのちを、「殺してはならない」などと言われなくても、「殺すことなどあり得ない」。自分と隣人のいのちに対する、そういう感謝と畏れを伴う積極的なとらえ方が十戒の原点だ。

◇「憲法」を初めとする法と政治によって平和を維持しようとし、教育によっていのちを尊重する心を養おうとする私たちだが、究極のところでは、神が独り子を賜うほどにこの世を愛され、互いに愛し合いなさいと命じられるこの「神の愛」こそが、根元的なところで「倫理崩壊」をふせぐものであり、世界と人類のいのちを支える原理であると確信する。神の愛を宣べ伝える教会の業に参与していきたい。



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