礼拝説教


2008/7/20  聖霊降臨節第11主日

       「主は捜し出し、救う」 協力教師 中野 実

ルカ福音書19:1−10、23:39−43 


◇主イエス・キリストの「神の国」の宣教とは、神を無視して歩んできた私たちを神の大切な子供として取り戻す働きである。その目的を果たすために主イエスはエルサレムへ向かって旅を始められた。その旅の終盤において起こった興味深い出来事が、徴税人の頭で金持ちであったザアカイの回心(神への立ち帰り)である。

◇主イエスは彼の町エリコを通り過ぎようとしておられた。そしてザアカイは評判の人ナザレのイエスを見たいと思った。これは単なる好奇心による。しかしザアカイと主イエスとの出会いは、単なる偶然、偶発的なものではなかった。19:5によると、主イエスはザアカイの所まで来て、上を見上げ言う。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まらなければならない」。

◇「ねばならない」。神の御心、ご計画だからである。主イエスにとってザアカイとの出会いは単なる偶然ではない。ザアカイの好奇心に由来する出来事のように見えるかもしれないが、神のご計画の中で準備されていた出来事なのである。この日、主イエスは、神のご計画に従ってザアカイと出会い、彼の家に泊まり、大切な神の子として彼を取り戻した。主イエスの旅はこのように不思議なものである。

◇ザアカイの話がここで終わっていれば単純である。しかし物語はさらに続く。19:7によると「これを見た人たちは皆つぶやいた。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった』」。神の御心を喜べない人々がいる。しかも彼らは神の民である。神の御業は常に新しい。それ故私たちはしばしば神についてゆけなくなる。そこに人間の罪がある。そんな罪の故に、主イエスの旅はまだ終わらない。

◇そして主イエスは十字架という場所へ赴く。しかしそこでも、主イエスは神に立ち帰る道を私たちのために切り開く。ルカ23:39−43によれば、二人の犯罪人が主イエスと共に十字架につけられる。そこで、主イエスを信頼する犯罪人に約束する。「あなたは今日わたしと一緒にパラダイス(楽園)にいる」。その犯罪人にとって、十字架という最悪の場所はすでにパラダイスに変貌し始めた。最悪の場所においても、主イエスは神へと立ち帰る道を切り開いてくださる。そのような恵みに気づかされる場所が私たちの教会であり、日曜日ごとの礼拝である。



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