礼拝説教
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2008/6/29  聖霊降臨節第8主日

       「復活の希望」 牧 師 大村  栄

使徒言行録24:10〜21 


◇使徒パウロは3回目の伝道旅行において、異邦人の教会からエルサレム教会への援助金を預かり、それを届けるために上京しようとしていた。しかしパウロの異邦人伝道が反律法的だと言って反対する者たちの妨害を恐れ、教会の信徒たちは彼の上京を止めようとする。だがパウロが計画を変えようとしないので彼らは最後には、「『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ」(21:14)。

◇案の定、エルサレムでパウロは同胞ユダヤ人に襲われ、リンチにかけられそうになった時、駐留ローマ軍の隊長が駆けつけて彼を逮捕した。意気消沈する彼に、その夜、主が現れ、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」(23:11)と励ました。パウロにはローマからさらにイスパニアへ行くという目的があった。それはパウロの目標と言うより、神が「しなければならない」と言われる神の計画、神の必然なのである。

◇ユダヤ人たちは暗殺の機会をうかがっており、それを知った千人隊長は、ローマ市民権を持つパウロがローマの裁判を受ける権利を確保するため、これ以上のものはないほど厳重な装備をもって、彼をローマ総督フェリクスのもとへ護送する(23:23)。そこで法廷が開かれ、ユダヤ人はパウロを「疫病のような人間」(24:5)だと告発し、彼は反論する(24:10)。パウロは「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」(24:21)と訴える。パウロの弁明にあふれるのは「復活」への信仰である。彼が語る福音の根本は、キリストの十字架の死と復活によって実現した「永遠の命」である。そしてそれを宣べ伝えるパウロの活動を支えるものも、「復活の希望」だった。

◇パウロが目指しても到達できなかったイスパニアから、16世紀にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが日本に渡り、「長崎の26聖人」など、彼の教えを聞いて信じた人々は、天国における永遠の命を信じ、死も恐れなかった。地上の何ものにも妨げられない「復活の希望」が、彼らを生かしたのである。

◇「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。その神の愛に動かされる信仰者の歴史を教会は担っている。



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