礼拝説教
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2008/6/15  聖霊降臨節第6主日

       「誰でもわたしのもとに来なさい」 伝道師 姜 キョンミ

マタイ福音書11:25−30 


◇私たちは皆、疲れています。この世を生きていくことは疲れることです。人間という字は人の間と書く、ということがよく言われます。人間は、人々の間で、人々との交わりの中でしか生きることができない者だというのです。私たちは完全な孤独には耐えられない、人と人とのぬくもりある交わりを必要としているのです。

◇また私たちは重荷を負って生きています。どんな重荷を負っているか、それは人それぞれ様々でしょう。様々な重荷を負って疲れ果てている私たちに、このように語りかけておられる方がいます。「わたしのところに来なさい、休ませてあげよう」。その「休ませる」というのは、仕事などから一旦離れて休む、そしてリフレッシュされて、新しい気力と力を与えられて再び働きに戻っていく、そういうことを意味している言葉です。もう疲れの原因が全て取り除かれて、一切疲れなくなる、というのではありません。また、重荷が全部取り去られて、これからは身軽になって歩める、ということでもありません。

◇柔和で謙遜な方であるイエス・キリストと共に歩むところには、まことの安らぎがあります。本当に休みを与えられ、リフレッシュされて、自分の重荷をしっかりと負って生きていく新しい力を与えられることができます。それは決して、もう一つ別の重荷を背負い込んでますます疲れていくような歩みではないのです。

◇キリストは、私たちと共に、この軛を負って下さいますそのキリストと共に負うのだから、この軛は負いやすいのです。またそこで与えられるキリストの荷は軽いのです。それは私たちがすでに背負っている重い荷に加えて、軽いものではあるがキリストの荷も背負わされるというのではなくて、キリストが共に負って下さることによって、私たちの肩に重くのしかかっている荷が軽くなるということです。あるいはキリストが私たちの重荷を取り除いて下さり、代りに軽い荷を背負わせて下さると言ってもよいかもしれません。

◇イエス・キリストが今私たちに、こう呼びかけておられます。このイエス・キリストのもとに行って、まことの安らぎを与えられたいのです。



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