礼拝説教


2008/4/27  復活節第6主日礼拝

       「万事が益となるように」 牧師 大村 栄

ローマ書8:28−39


◇「28:神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」。「御計画」とは神の全世界に対する救いの計画である。その計画において「万事が益となる」とは人間の願いが満たされることではなく、神の「御計画」が実現すること。しかしそれが結果的には私たちにとっても、「良かった」と言えるような事態。これが聖書の語る真の「益」である。

◇詩編119:71「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました」。掟とは神の救いの計画である。その中に自分が置かれていると知るのは、目先の問題が解決されることよりはるかに尊いことである。

◇ そういう生き方を志す者たちを「28:御計画に従って召された者たち」とパウロは呼ぶ。「召す」カレオーはエクレシア「教会」の語源。「30:召し出した者たちを義とし…」。「義」とは神との正しい関係。羊の下に我と書く。「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)なるキリストをかしらとする体が教会である。「あなたがたはキリストの体、一人一人はその部分です」(Ⅰコリ12:27、教会標語)。私たちは神の計画実現のために教会に召された。

◇ 「32:わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」。神の救済計画の動機である愛は、独り子を賜うほどに与え尽くす愛である。これを信じ、まかせていけば良いのにそう出来ないのは、私たち自身が「与える」より「受ける」方が好きだからだ。神の無条件の愛を信じられず、様々な方法で資格を得ようとして失敗する。私たちのあらゆる不安の源は神の無条件の愛を信じないことにあると言えよう。 ◇「キリストの体なる教会」は、キリストにしがみつく者の群れではない。「39:わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛」が先行し、「どんな被造物も」そこから私たちを引き離すことはできない。そういう神の愛の中に身を委ねる者の群れである。そのような教会の活動を通して、神の愛と創造の秩序の中で「万事が益となるように共に働く」という、世界と人生の祝福が満ちることを祈り求めていきたい。


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