礼拝説教


2008/4/20  復活節第5主日礼拝

 「世のための教会」  牧師 大村 栄

ヨハネ福音書15:18−27


◇「迫害の予告」の見出しで始まる部分だが、十字架への道を歩む主イエスが、14〜16章で弟子たちに語る「訣別説教」の一部である。

◇「世(コスモス=秩序)があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい」。キリストの弟子(クリスチャン)は世の秩序を超えて世界に、神の愛の秩序を回復することを願い、「御国を来たらせたまえ」と祈る。

◇しかしそのために人間の秩序と対立することもある。例えば「よきサマリア人」の例えでは、敵対するユダヤ人の世話をしたサマリア人を主イエスは評価するが、それは世の習いに反することであり、その行動をとる者は世から浮いた存在となる。

◇「あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した」。キリスト者は世に属する以上に、ぶどうの枝が幹につながるごとく、キリストに属している。神の愛を実践し、その実りによって世を潤すために選ばれた私たちである。

◇「あなたがたはキリストの体、一人一人はその部分です」(教会標語、?コリント12:27)。徹底して世のために生きて死んだキリストを頭に頂くなら、その体なる教会は「世のための教会」(井上良雄)とならざるを得ない。井上先生のその主張を聖書の言葉に照らしてとらえ直したい。

◇だが「世のため」であろうとしても、世はキリストをそうしたように私たちを拒絶し、それによって私たちは居場所のない苦悩に陥ることもある。しかし主は世の拒絶に苦しむであろう弟子たちに、一つの約束を与えられた。それは「弁護者」(聖霊)を与えるとの約束であった。パラクレートス(傍らに立って呼ぶ者)は法廷での弁護人。通訳とも言えるだろう。私の言葉は通じなくても、傍らに立って通訳してくれる者がいれば言葉は伝わっていく。

◇ペンテコステに弟子たちを立ち上がらせ、それ以来教会を活かしている聖霊の助けを願い求め、それによって私たちの教会を真に「世のための教会」として頂こう。そして教会を通して、この世が人間の秩序に依存する世界から、神の愛の秩序に満ちた世界コスモスへと変えられるよう求めたい。またその実現のためにこそ、「わたしがあなたがたを世から選び出した」と言って頂ける私たちでありたい。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com