礼拝説教


2008/3/30  復活節第2主日礼拝

 「夜明けは近い」  牧師 大村 栄

ヨハネ福音書21:1−14


◇復活の主と弟子たちの再会の場所は大きく分けてエルサレムとガリラヤのふた通りある。ヨハネはその両方を丁寧に記している。

◇かつてガリラヤ湖で漁をしていた彼らは、失意の内に故郷へ帰っていた。そこは今ローマ皇帝の名からティベリアス湖と呼ばれている。彼らが夜の間に漁に出たのは、ローマ帝国の支配が重くのしかかる時代の闇を象徴するようだ。魚が全くとれなかったのは、伝道の無力をも象徴しているように思える。

◇夜が明けかけた頃、暗い気持ちで岸に近づくと、そこに立っていた人が言う、「舟の右側に網を打ちなさい」。その言葉に従ってみると驚くほどの大漁だった。その人は復活の主イエスだった。言葉を信じて、行動してみて、神の御業を知る。信仰の順序はそうだ。しるしを見てから信じるのではない。

◇岸に上がるとそこにパンと魚の朝食が用意されており、主イエスが弟子たちを招かれる、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」。彼らは主を囲み、朝日の中でうれしい食卓を囲んだ。時代の闇はおおっているが、主の食卓を囲むこの交わりの中に、彼らは復活の主による朝が来たことを確信したのである。

◇説教題「夜明けは近い」は1968年の歌『友よ』の歌詞から取った。学生運動の嵐の時代、「友よ、この闇の向こうには、輝く明日がある」と信じて熱唱したが、その後も変わらず社会の闇は世を覆う。だがこういう中でも、復活の主は私たちを朝の光の中へと招いて下さる。教会はそのことを語り続ける。

◇復活の主との再会は、エルサレムでとガリラヤでがあると言った。エルサレムは十字架と復活の福音の原点であり、礼拝の場である教会だ。そこに震えながら集まり、祈っていた弟子たちに主はまず現れた。続いて現れたガリラヤは生活の場、社会の課題の現場だ。そこにも復活の主は現れ、人々の重荷を共に担って立ち上がった。その両方を尊重するのが私たちの信仰生活である。

◇その両方を踏まえ、主の命令に応えて行う伝道はあの夜の漁のように無力ではない。復活の主の食卓から始まって、世界に「夜明けは近い」ことを告げ知らせる教会の使命を新年度も担っていこう。そして教会からそれぞれのガリラヤへと派遣される私たちは、生活の場、奉仕の場でも、そのことを証しして生きていくことができますように。

   
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