礼拝説教


2008/3/23  復活祭礼拝

 「贖い主は、生きておられる」  伝道師 藤川 綾子

ヨハネ福音書20:1−18


◇主イエスの十字架の死、そして復活が2000年もの間語り続けられているのは何故か。それは、主が自分の過ちのゆえに死刑にされたのではなく、無罪であるにもかかわらず、死刑にされたから。そして死ぬべき私達の代わりとなって死に引き渡され、更には、3日後に復活されたからである。

◇マグダラのマリアは主イエスによって7つの悪霊を追い出し、病を癒していただいた女性。また高価な香油を主の足に注いだ女性であったであろう、と推測する人もいる。彼女は主が十字架にかけられるその場にも居合わせた人物であり、復活の朝いち早く、主イエスが葬られたお墓に行き、主イエスの体に再び香油を注ぐために走った女性。

◇彼女は、お墓の前で涙を流していた。本当なら自分が責められてもおかしくないのに、主が代わりに裁かれたことへの深い深い懺悔の思いと、大切な方が取り去られてしまい、遺体さえもなくなってしまったことへの悲しみの涙であった。

◇しかし、その涙も流れつづけることはなかった。彼女の前に主イエスが現れたからである。思わず突如現れた主にマリアはすがりつこうとしたが、しかし、主イエスは「すがりつくのは辞めなさい。」と厳しい言葉をかけられた。

◇何故そのような厳しい言葉をかけられたのか。それは、主イエスにはまだ為すべき使命があったからである。主は天におられる父なる神様のもとに上っていかなければならないのである。それは何故か。天の父なる神様のもとから別の弁護者を遣わすと弟子達に語られたことを実行するためである。主イエスが、罪深い女性にふれてその罪を赦し、病を癒したその偉大なみ業が、彼と共に生きた人々だけでなく、その後も、100年経っても、1000年経っても、罪ある人を赦し、癒し続けるために、別の弁護者、「聖霊」を遣わすのである。

◇マリアは、もしかしたらまだそこまでは考えが及ばなかったかもしれない。しかし、「主イエスを見た」ことの証し人として、彼女はいま新しく立てられた。彼女の目にはもう涙はない。「私の罪を贖ってくださった方は、生きておられる。」この告白ゆえに彼女の自立が始まった。この大きな喜びが、私たちの喜びとなり、「主は生きておられる」との告白が教会の告白であり続けることを祈り続けよう。

   
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