礼拝説教


2008/1/20  礼拝説教

「真理はあなたたちを自由にする」  牧師 大村 栄

ヨハネ福音書8:21〜38


◇神の言葉に無理解な人々に対して主は言われた、「『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」。「罪」とは的外れな状態。自分の命を用いるべき道を知らずに、的外れに空しく死ぬことだ。

◇「わたしはある」は神がモーセに告げたご自分の名前。「わたしはある。わたしはあるという者だ」(出エジプト記3:14)。存在自体の重さを言う。ギリシア語では「エゴー・エイミ」。英語の「I am 〜」に相当し「わたしは世 の光である」(8:12)など特にヨハネ福音書では主がご自分を現す言い方に多く用いられる。強い<肯定の宣言>と言えよう。

◇「肯定」の反対は否定ではなく「疑い」だ。2007年は「偽」の一文字で表される年だったと言うが、「我思う(疑う)、ゆえに我あり」(デカルト)と、疑うことによって自己を確立するのでなく、謙虚に神を信頼し、神の支配に委ねて生きる。それが主イエスの<肯定の宣言>を受け入れることである。

◇「真理はあなたたちを自由にする」の「真理」とはこのような生き方を指す。疑いに生きるのでなく、神の御心を信じて委ねて生きる時に「自由」が実現する。自分たちは自由だと主張する人々に、主は彼らが「罪の奴隷である」と言われる。命の正しい用い方を見出せず、的外れに空しく過ごす者は、自力でそこを脱出することが出来ない。そういう奴隷状態から、「疑いのあるところに信仰を」(フランチェスコ)とのポジティブな生き方に変えられたい。

◇「奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが子はいつまでもいる」。奴隷は主人の都合でいつ未知の領域へ売り飛ばされるか分からず、恐れと不安の中にいる。しかし自分の家に暮らす子は、そんな目には遭わない。いつも最善の状態におかれる。これは人生と歴史の終わりの出来事を言うたとえだ。

◇「わたしはある」と言われた主イエスを信じて生きる者には、死の先にも主が共にいて下さるという親に対するような信頼と平安がある。それがまさに「真理」を生きる生き方であり、死の闇におびえる恐れから解放されて、「真理はあなたたちを自由にする」という事実がそこに出現するのである。


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