礼拝説教


2007/12/16  礼拝説教 

「到来するその日」  牧師 大 村  栄

マラキ書3:19〜24


◇マラキは紀元前5世紀、バビロン捕囚から帰還した民が、神よりもペルシャの総督を恐れ、真の礼拝を回復できずにいる状態を批判した。礼拝を司る祭司たちに腐敗があった。祭司の属するレビ族が、民を代表して神との契約を結んだとされる。「レビと結んだわが契約は命と平和のためであり、わたしはそれらを彼に与えた。それは畏れをもたらす契約である」(2:5)。神は民に「命と平和」を与え、民は神を「畏れ」敬って生きる。こういう契約関係を維持するのがレビ族、すなわち祭司の務めだった。ところが「あなたたち(レビ族)は道を踏みはずし、教えによって多くの人をつまずかせた」(2:8)。

◇この裏切りに対して審判の日の到来が予告されるが、それに先だって主はまず「使者を送る。彼はわが前に道を備える」(3:1)。この使者は「精錬する者の火、洗う者の灰汁」(3:2)のように強力に民を清める。ヘンデル作曲のオラトリオ・メサイアで、「彼は精錬する者の火のよう」はバスのアリアで、次の「レビの子らを清め」(3:3)はコーラスで激しく歌われる。神との契約関係を維持する務めを担うレビ族が、その任務への怠慢ゆえに真っ先に激しい火で浄められる。現代のレビ族である教会が職務怠慢によって粛清されないためにはどうするか。

◇それは世に悔い改めを勧告することである。「立ち帰れ、わたしに。そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰る」(3:7)。神への信頼と服従を生きるなら、主は「天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐ」(3:10)。「悪事を行っても栄え」(3:15)ている者が多い社会で、悔い改めだの神への信頼だのは空虚に聞こえる。しかし私たちは世界は決してこのまま終わらず、いつか「その日が来る」と信じる。「見よその日が来る。炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者は、すべてわらのようになる」(3:19)。

◇その日に備えて「わが僕モーセの教えを思い起こせ」(3:22)。それは神との契約のことである。メサイアのハレルヤ・コーラスで立ち上がるのは、神の国の国歌斉唱の起立だと感じる。私たちは神の国に属し、その到来を待ち望む者である。その日のために、忠誠と希望を持って迎える備えをしたい。

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