礼拝説教


2007/10/28  礼拝説教

「光はやみの中に輝いている」  牧師 大村 栄
<在天会員記念礼拝>

ヨハネ福音書1:1〜14


◇阿佐ヶ谷教会在天会員は357名おられる。今日発行の「主の証人たち」第9巻にはこの一年に召された15名の方々の信仰の記録がある。今日午後には教会墓地で6名の方々の納骨式を行うが、既に納骨した方も含めると、この一年で13名を教会墓地にお納めした。多くの葬儀、納骨式を行ない、その都度、涙を見てきた。

◇「光はやみの中に輝いている」(ヨハネ福音書1章5節の口語訳)は、1962(昭和37)年12月23日の大村勇牧師によるクリスマス説教の題でもある。その日の礼拝では16名もの受洗があった。全国的にも教勢が盛んな時代だったが、その後、教会も社会も「低迷」期に入っていく。

◇口語訳聖書は「光はやみの中に輝いている」に続く1章5節後半を、「そして、やみはこれに勝たなかった」と訳した。世の光なるキリストの到来は、世の闇を打ち負かす。クリスマスはそんな喜びの季節である。しかし新共同訳では「暗闇は光を理解しなかった」とあり、その方が原意に近い。光は闇に勝ったのではない。世の光なる主イエスを迎えても何ら変わらないと言わざるを得ない世界と個々の人生である。闇は全く負けていない。闇の究極である死は相変わらず人間を絶望と悲しみにおとしいれる。

◇「勝つ」に当たる言葉は、理性で捉えるという意味である。暗闇は光を「人間の理性で把握できなかった」のだ。この光は人間の理性の目、常識の目ではなく、信仰の目で見なければ見えないのである。

◇大村勇牧師は説教の中で、北海道の鮭の話しをしている。「厚い張りつめた氷の下に、暖かい流れ、水の流れがある。そこに卵を産む、ということでございます。… この冷たい人生の、世の中の厚い氷の下に、神の愛の暖かい流れがあることを発見したいものです」。見えないから理解しないというのは闇のわざだ。見えないところに神の愛による光があることを信じる信仰を生きるものでありたい。

◇在天会員記念礼拝にあたり、目には見えないけれど永遠に輝く光の中へ歩んで行った方々を覚え、彼らをみ手に受けとめて下さった方を仰ぎたい。

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