礼拝説教


2007/9/30  礼拝説教

「隣人を“自分のように”愛する」
         吉祥寺教会牧師 吉岡 光人先生

ヤコブ2:1−9


◇「分け隔てをしてはならない」とヤコブは言う。ということは、教会の中に実際に「分け隔て」が存在していたことがわかる。裕福な者が重んじられ貧しい者が軽んじられる、あってはならないことが、残念ながら教会にも存在していたのである。しかし、そもそも神は貧しい者を選んでご自分の民とされた、その事実を考えれば、貧しい者たちが不当に扱われることは、明らかに「主の教会」とは違った共同体を目指していることになってしまうのである。さらに人を分け隔てることは、「神を愛することと、隣人を自分のように愛すること」という基本的な戒めに反することである。そのことを認識しなければならない。

◇教会が本当に「主の教会」になるためには、この世の論理ではなく、神の言葉に従う共同体とならねばならない。主イエスも大切なものとして教えた「神を愛すること」と「隣人を自分のように愛すること」という二つの大きな愛の戒めが基本である。とりわけここでは「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しないさいと薦められている。

◇しかし、私たちはどうしても「隣人を愛すること」の限界を感じる。言葉の上では理解できても、心の中ではそれに反する思いが湧いてくる。その原因は「自分を愛すること」も十分にできないからである。「ありのままの自分をどうしても愛せない私」が隣人を愛することなど決してできない。

◇それではどうしたらいいのか。それは、「主に愛されている私」を知ること以外にはない。「破れに満ちた罪深いこの私が、主によって愛されている」という事実、それを知ることが、自分を愛することのできる唯一の方法なのである。そしてその上に立って始めて「自分のように隣人を愛すること」ができるのである。従って、まず「主に愛されている私」を知ることが大切なのである。

◇キリストの十字架の出来事を通して、私たちが徹底して愛されていること、無条件で愛されていることを知ってこそ、隣人を愛し、一人一人が大切にされる社会を作ることができる。それが神の家族、来るべき神の国を映し出す教会共同体の使命である。

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