礼拝説教


2007/8/19 <聖霊降臨節第13主日>礼拝説教

「人生の寂しさのただ中で」          協力教師 中野 実 先生

使徒言行録8:26−40

 


◇ある日、神は伝道者フィリポに一つの命令を与えた。「ここをたって南へ向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」。そこは寂しい道、人間と出会うことは期待できない荒涼とした場所である。しかしここに信仰者の重要な使命がある。誰もが確認できる所に神の業を見るのではなく、誰も見ようとしない所に神の業を発見する使命である。

◇そこでフィリポはエチオピアの女王カンダケの高官であり、宦官であった人物に出会う。彼は一方で女王に仕える高官として名誉を手にしていたが、他方、身体に欠陥を持つ存在としてさげすみの対象でもあった。彼はユダヤ教徒ではなく、異邦人である。何かのきっかけによって聖書の中に真実があると信じて、求道を始めていた。聖書を通して、自分のような宦官ですら、必ず神の民の一員に加えてもらえるとの希望を与えられ、思い切って遠いエルサレムへの巡礼の旅を試みた。しかし彼の期待は落胆へと変わった。実際のエルサレムの神殿に彼の場所はなかった。彼のように身体に欠陥を持つ者は神殿に入ることすら許されない。大きな屈辱を感じ、落胆の只中でエチオピアへと戻る途上にあった。

◇フィリポは、そんな彼にイザヤ書53章から説き起こして、イエス・キリストの福音について語る。「天地の創造者である神は、預言者イザヤが言うように、今あなたのような異邦人を、宦官を神の民として招いている。しかし大事なこととして覚えてほしいのは、あなたが神の民として加えられるのは、エルサレムの神殿によってではなく、十字架の苦しみを通して、栄光のうちに入られたイエス・キリストによってである。イエス・キリストこそ、多くの苦しみ、矛盾の中であえいでいる私たちを救いへと導くために、ご自身も苦しみを味わわれた方である」。このフィリポのメッセージは宦官に本当の希望を与えた。

◇私たちも人生の歩みの中で、惨めさ、挫折、苦しみ、悲しみを経験する。しかし、その只中に神の御子イエス・キリストが入ってきてくださり、私たちのために新しい道を切り開いてくださった。それによって、私たちも宦官のように、神の民の一員として迎えていただける。主イエス・キリストを通して私たちもまた神の民に加えられている。その恵みの事実を示すしるしが私たちの洗礼である。
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