礼拝説教


2007/5/13  礼拝説教

「信頼を捧げよう」
                  伝道師 堀江 綾子

ヨブ記1:21

 
◇人が「死を願う」時、その人の生きる力は弱まっている。しかし「死にたい」=「生きたい」なのではないだろうか。「生きたい」しかしそれが阻まれている、そういう状況の中での叫びなのではないだろうか。

◇ヨブは死を望んだ人物である。愛する家族や、尊い財産が奪われた時には「主は与え主は奪う」と告白し、自分自身の肉体がぼろぼろになるような病に際しても、「神から幸福をいただいたのだから、不幸をもいただこう」と告白した,しかし、そんな彼もあまりにも激しい苦痛の中で、死を望むようになる。あたかも神に見放されたかのような激しい苦痛の中で、ヨブは地上を離れ陰府の世界にて神に見えることを信じ、そのことを願い始める(19章),ヨブは信仰を失ったわけではない。しかし神に見えるために死を望んだのである。

◇一方、ヨブの死への願いに対して、神は頑としてお応えにならない。ヨブが問いかけても問いかけても、神は沈黙する。そして長い長い沈黙の後、神は意表を突く形で風の中からお答えになった。「これ は何者か、神の経綸を暗くするとは」(38章)。正しく無垢なヨブが犯した過ち、あえてそれをあげるならば、死を願ったこと。もはや陰府においてしか、神と見えることは無いと信じていたヨブに対して、神は地上にて接触する,創造主であるご自身を、生も死も支配している方であることを、お示しになる。

◇私達は、命の源なる神を知っている。そして死を望むことが神の御心ではないことを知っている。しかし、時に虚無感に襲われ、死を望むことがある。リストカット、自殺。死という闇が、私達の世界に動揺を与えている。そのような中で、私達は伝えていかなければならない。「生きよ」と語られる主がいることを。

◇今日は、母の日。自分がこの世に生まれるために苦しんでくれた母がいることを思う時、生きる力が湧いてくる。死と闇との戦いを戦い抜き、永遠の命への道を切り開いてくださった主イエスに出会う時、生きる力が湧いてくる。私達の周りにいる人々に伝えたい。「生きていていいんだ」「一緒に、生きてゆこう」。このような言葉が、わたしたちのこの世界に広がることを信じ、折りを捧げてゆこう。



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