礼拝説教


2007/4/8 礼拝説教

<復活祭礼拝> 「よみがえりを信ず」
                  牧師 大村 栄

ルカ福音書24:1−12

 
◇「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」(Ⅰコリント15:17)。キリスト者にとって、死は恐怖でも呪いでもない。むしろ罪からの解放であり、新しい命への出発である。

◇今年1月14日に元衣笠病院牧師の木村知己先生をお招きし、ヨハネ福音書8:31-38から「真理はあなたたちを自由にする」という説教を伺った。先生は死に直面する人々に福音を語った経験から、聖書を通して永遠の命への道を知った人は、地上の限界に対する苦悩から解放され、希望に生きる自由へと導かれると言われた。「真理 はあなたたちを自由にする」とは、まさにそのことだとも。

◇このところ毎週のように葬儀が続くが、私はその度に「死は終わりではない」と語る。肉体の死の先に天国というゴールがあることを確信した人は、その途上の人生のレースを、前向きに生きることができるはずだ。死への不安は若者でも、その人生観に陰を与えるものだ。

◇私もそうだったが24歳の時、目白教会の篠原金蔵牧師の葬儀でハレルヤ・コーラスが凱旋の歌として讃美されるのを聞いて変わった。そして聖書の信仰の最大のメッセージは、死の問題の克服であると感じるようになった。そしてそれは人生の終わりに関する希望であると同時に、それ以上に、今生きる一日一日の歩みを支える平 安であり自由である。

◇そのことが実現したのが、今日復活祭だ。しかし年に一度だけのことではない。私たちは主イエスの復活された日曜日を主の日として尊び、毎週礼拝をささげる。ここに教会のいのちがある。私たちが捧げる主日礼拝は、音楽会でも講演会でも、単なる交わりの時でもない。私たちがよみがえりの主と出会い、生きる望みを回復す るときだ。

◇そうやって主に生かされる者としての生命のリズムを、礼拝を中心とする一週間のリズムの中で経験しながら、地上における生涯を全うしていくのが、キリスト者の生涯である。今朝、「よみがえりを信ず」の信仰告白を新たにするものでありたい。


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