礼拝説教


2007/4/1 礼拝説教

<棕櫚の主日> 「御言葉はわたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」(新年度教会標語)
                       牧師 大村 栄

詩編119:105−112

 
◇教会員から寄せられた49の聖書箇所から上記が今年度の教会標語に選ばれた。口語訳では「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」。「足」すなわち足もとの日常生活と、「道」すなわち人生の行く道、聖書の御言葉はその両者を照らす光なのである。

◇冒頭に「アルファベットによる詩」とあるようにヘブライ語22文字を頭に使った8節ずつ176節の「いろは歌」的詩だ。しかも全節に律法に類する言葉を使っている。「御言葉、裁き、命令、定め、掟」と言い換えられているが、いずれも「律法」を指す。ここからこの詩編は「律法の賛歌」と呼ばれてきた。

◇技巧的過ぎて内容は乏しいとも言われた。しかしそれにしては多くの人に愛される言葉が多い。「苦しみにあいたりしは、我によきことなり。これによりて、われ汝の律法(おきて)を学びえたり」(71節文語訳)。神の言葉がどんなに尊く私たちの足もとを照らすものであり、それへの信頼が人生を支え導くものであるかを、繰り 返し教えているのだ。

◇ただし呪文やお経のように、言葉そのものを聞いたり読んだりしただけで効果が出る訳ではない。ルターは「聖書は、その中にキリストの臥したもう飼い葉桶である」と言った。それ自体は見栄えのしないただの容れ物だ。「土の器」(Ⅱコリント4:7)と言い換えられる。しかしそこに尊い宝を容れている。 「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」(ヨハネ福音書5:39)。

◇「御言葉はわたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」と覚える時に、その御言葉、聖書の教えは何を告げるものであるかを忘れてはならない。それは今日、小さなロバにまたがって都に入り、そのゆえに力を期待した人々によって拒絶され、裏切られ、鞭打たれ殺された方を証ししている。そして、そういう私たち人間の愚かさ を赦し、最後まで見捨てないためにこの方をよみがえらせた神の愛を語っている。それが「わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」なる御言葉だ。御言葉に導かれて、主イエスに、そして神に出会う一年でありたい。


(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com