礼拝説教


2007/1/28 礼拝説教

「この場所に平和を与える」  牧師 大村 栄

ハガイ書2:1〜9


◇イスラエルはバビロニアの侵略によって、民の多くが捕囚に連れ去られたが、約70年の後、ペルシアの王キュロスがバビロニア帝国を滅ぼし、ユダヤ人は解放された。しかし彼らの帰ったエルサレムでは、ソロモンの神殿は焼き払われ、都は荒廃している。彼らはまず物質的生活の立て直しに熱中し、「まだ、主の神殿を再建する時は来ていない」(1:2)と言っていた。自分たちの状況が良くなったら、次に神様のことを考えようとしていたのだ。

◇「ダレイオス王の第2年」、すなわちBC520年に主は預言者ハガイを通じてゼルバベル(マタイ1:12-13)とヨシュアに呼びかけた。「4:今、お前たちは、この神殿を廃虚のままにしておきながら、自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか」。高級建材レバノン杉を使った贅沢な家に住むような、自分を喜ばせる自己中心の生き方をしているなら、「6:種を多く蒔いても、取り入れは少ない。食べても、満足することなく…」。満足を知らぬ人間の欲求に振り回される空しい日々が続くと言う。「お前たちは自分の歩む道に心を留めよ」。どこに向かって生きているかが問われている。

◇そして勧められるのは、「8:山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受ける」。「山に登る」とは日常から離れて聖なる場所に赴くこと。内なる宮を尊重することだ。その宮を建てる行動の第一歩を神は喜びたもう。

◇何も建っていない内は、「目に映るのは無に等しいものではないか」(2:3)と言いたくもなる。しかし私たちが神を第一として神殿を建てる業に踏み出すなら、主は「4:わたしはお前たちと共にいる」と言い、「5:わたしの霊はお前たちの中にとどまっている」と言われる。「無に等しいもの」にしか見えなくても、その「中に」「共に」いる神を見失ってはならない。

◇西東京教区では人口増加が著しい町田・八王子などの地域に開拓伝道を行う準備をしている。教会を建てることは単なる教会の勢力拡大のためではない。神殿=教会の建設は、それを通して神が世界を動かし、世界に神の秩序を造り上げるのである。「9:この場所にわたしは平和を与える」と主は言われる。この「平和」(シャーローム)は神による新しい秩序であり、世界が真に必要としているものだ。人間の贅沢や欲望に流されるのでなく、世界の現実の厳しさの中にも「共に」いる神を仰ぎ、その神の臨在を証しする宮(教会)を建てることを通して、この世界に神の秩序である平和が実現する。

◇その業のために私たちが立ち上がり、木を切り出しに山に登り始めたら、それを神は喜び、そこにもう「神の栄光」は現される。「すべて神の栄光を現すためにしなさい」とは、結果でなく過程を大事にする言葉なのだ。「ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブは、まだ実を結んでいない。しかし、今日この日から、わたしは祝福を与える」(2:19)。




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