2025/12/28「救い主を見た者に注がれる安心」ルカによる福音書2:22~38 牧師 古屋治雄

◇ルカは、聖家族がエルサレム神殿に来たとき、シメオンとアンナという二人の預言者がイエス様と出会った事を伝えている。クリスマス物語の登場人物に、この二人の老人も加えられねばならない。シメオンは「イスラエルの慰められるのを待ち望」んでいた。(2:25)またアンナは「エルサレムの贖いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを語った。(2:38)」

◇この時代のイスラエルの人々は、力をふるう王的なメシアを待ち望んでいた。しかしシメオンとアンナが待ち望んでいたのはそうしたメシアではなく、「イスラエルの慰め」と「エルサエムの贖い」である。二人は老年になり、具体的な力が衰える代わりに、ユダヤの民の歴史や世界の動向を見極める洞察力を与えられ、信仰が練り清められ、本当に祈り願わなければならないことは「慰め」と「贖い」であることに気づかされた。二人は、幼子イエス様との出会いによって、待望していた神様からの慈しみ、憐れみが注がれていることを実感する。神様の恵みは力によって実現されるものではないことを知らされたのである。

◇神様が私たちに憐れみを注いで下さるということは、心情的なこと、心のもちようということではない。私たちを変える力となって働く。また贖いとは、罪の支配の中へと奪い取られてしまった私たちを、神様が責任をもって買い戻してくださることである。私たちは神様の恵みの御支配の中に生きる者とされるのである。「慰め」と「贖い」は個人的なことではなく、信仰共同体に、さらに教会に向けられている。

◇シメオンは、出会ったばかりの幼子主イエスの苦難、十字架を預言する。イスラエルが慰められることと、主イエスが真の救い主として反対を受けることとは別々のことではない。シメオンは決して絶望していない。「この僕を安らかに去らせてくださいます」(2:29)と平安に満たされている。主イエスの苦難と十字架の先に、「万民の前に備えられた救い」(2:31)があることを知って喜びを告白する。私たちも共にこれを告白し、この預言を担う者とされている。