2025/10/26 「召された人々と一つにされる希望」テサロニケ信徒へ手紙一4:13~18牧師 古屋治雄

◇聖書中で主イエスも、ユダヤ人々死場面に何度か遭遇される。そして二千年前ユダヤ人々にも、今日私たちにも「私復活であり、生命である。私を信じる者、死んでも生きる。生きていて私を信じる者誰も、決して死ぬことない。」(ヨハネ 11:25)と呼びかけ、私たちに思いも及ない言葉と働きを発揮してくださっている。使徒パウロもまた、テサロニケ教会において死を悲しむ人々に「希望をもたないほか人々ように嘆き悲しまないために……知っておいてほしい」と語った。こ呼びかけ、死悲しみに呑み込まれてしまいそうになっている人々に限らず、こ地上で生き、やがて死んでいくそ人生中で神がすべて「嘆き悲しみ」を「希望」へと変えてくださっている事実が示されている。パウロ、主イエス死と復活を信じる者にとって、死が終わりでなく、神が「イエスにあって眠りについた人たちを、イエスと共に導き出してくださいます。」と告げる。パウロにとって主復活、全人類救い歴史を転換させた神出来事であった。信仰者死後再会を、単なる地上延長としてでなく、神栄光もとで新しい命に生かされる希望として受け取る。主イエスが再び来られるそ時、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、生き残っている者も共に主に出会い、永遠に主と共にいるようになる、と約束が私たちに与えられている。こ確かな希望こそ、地上を歩む私たちを支える力である。

◇今朝在天会員記念礼拝として、主もとに召された人々を覚えつつお捧げしている。皆様にお配りした「主証人たち」第27巻に挙げられている方々、こ一年間に新たに私たち中から主御許に召された方々である。こ他にも身近な方々が地上からいなくなったことを私たち経験している。それこれまで一緒に生き、一緒に生活してきたそことが断たれてしまったということである。そして失われて初めて、一緒にいたことが当たり前でなかったことに気付かされるである。