今の小学生たちの必需品に、辞書、地図、図鑑、楽器、プリンター、パソコン、タブレット、ゲーム機などが挙げられる。こうしたものは飾ってあるだけでは意味がない。使うことが大切である。私たちが、自分のものと思っているものも、その材料、原料をたどれば、神様が造られたものである。すべての物を感謝して用いたい。
◇タラントンのたとえでは、3人の僕にそれぞれ5タラントン、2タラントン、1タラントンが預けられる。だが平等に預けられてはいない。ここでは商売をする力が問題になっている。この主人は神様のことで、3人は私たちである。たとえば運動する力では、Aさんは5タラントン、Bさんは2タラントン、Cさんは1タラントンかもしれないが、別の力、歌を美しく歌う力だったら、Aさんは1タラントンで、Bさんは5タラントン、Cさんが8タラントンかもしれない。それぞれが違う設計図で作られているから、違う力を、違う割合で持っているのである。それぞれの力を使って、できるだけのことをすれば、神様は「よくやった」とほめてくださって、その力をもっと伸ばしてくださる。また苦手なことをやらないでいる、というのは、1タラントンの、臆病な人のようなものである。少しずつでも挑戦していると、うまくできる方法を教えてくれる人が現れる。
◇聖書を学び、知識を得た人は、さらに深い知恵をいただくことができる。信仰に信仰を加えていただくことができる。「持っている人はさらに与えられる」のである。一方、御言葉が自分の中でしっかりと根を張っていないために、サタンがやってきて、いつの間にか、与えられている神様の御言葉を奪い取ってしまうこともある。「持っていない人は持っているものまで取り上げられる」のである。聖書を一人で深く読むことは難しい。「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」というのが実際である。あらゆる機会に解き明かしを受け、実際の信仰生活の中で御言葉を生きることが大切である。「御言葉を生きる」ことはおそらく一生の宿題であろう。


