◇主イエスを救い主として信じている私たちは、間違いなく主イエスから声をかけられ弟子とされて生きている。聖書の中には12弟子以外に大勢の弟子たちがいたことが伝えられている。今日の聖書箇所では、ペトロが決定的な過ちを犯してしまうことが主イエスによって予告されている。このことは四つの福音書全てにはっきり伝えられているが、教会の歴史の中でこうした弟子としての不名誉な出来事が消されることなく、伝え残されている。そしてそのようなペトロが、福音を担う者に立てられているのである。
◇イエス・キリストが私たちに現してくださった福音は、人間的な思惑や斟酌によって手を加えることができない事実を通して、真理であることを、証ししているのである。33節そして36~37節では「私の行く所に、あなたは今付いて来ることはできない」と言われる。ペトロは、主イエスが命を狙われていることを感じた上で「あなたのためなら命を捨てます」と、本心から決意を表明した。主イエスが言われた「私の行く所」とは、8章21節以下を併せてみると自分の罪で死ぬこの世の者たちが、行くことのできない所のことである。
◇主イエスはそのような者たちに、罪の力が支配することのない、永遠の命に生きることができるところを用意してくださった。そして、私たち人間が目を覆いたくなるような混乱が始まろうとしているただ中で、驚くべきことが起こっている。「今や、人の子は栄光を受け、神は人の子によって栄光をお受けになった。」(13:31)。実に弟子たちの裏切りと離反のただ中に、神様と御子の栄光が顕わされたのである。復活の希望の中で弟子たちがつくり変えられる出来事を、ペトロにはっきり語ってくださった。
◇「後で付いて来ることになる」というこの言葉を見落としてはならない。私たちは今主イエスのこの言葉に招かれ、生かされている。主イエスが私たちに与えてくださっている新しい命に、神様の恵みに生きる命に、感謝して歩もうではないか。
