2026/2/8「聖霊によって建てられる、わが教会」 ヨハネによる福音書20:19~23 牧師 古屋治雄

◇イエス様は、奇跡行為者としての歩みを続ける のではなく、ご自分から十字架へと向かわれた。 イエス様の覚悟を、弟子たちは何度も聞いてき た。ペトロをはじめ弟子たちは、「たとえご一緒に 死なねばならなくなっても、あなたを知らないなど とは決して申しません。」と表明するが、その決意 はすぐに崩れ去っていった。そのことが弟子たち を覆っている。イエス様は復活された日の夕方、 身を潜めている弟子たちに現れてくださり、手と 脇腹をお見せになった。 ◇イエス様から御傷を示されるということは、弟子 たちにとって、イエス様を見捨ててしまった事実 を突きつけられることである。イエス様は十字架 で死なれたことを素通りして、弟子たちの前に 立っておられるのではない。弟子たちがイエス様 を見捨てて逃げてしまったことを糾弾するためで もない。全く逆に、怯えている弟子たちに「あなた がたに平和があるように」と言ってくださった。弟 子たちは喜びを与えられたのである。 ◇十字架の死は、人間の中にどういう本質的な 性質があるかが見えるようになるためである。そし て私たちの背きの罪は、イエス様によって決定的 に赦されているのだから、怯える必要はない。私 たちは顔を上げてイエス様と共に喜ぶ者へと変 えられたのである。「父が私をお遣わしになった ように、私もあなた方を遣わす。」この言葉は驚く べき言葉である。弟子たちの罪を赦す宣言だけ でなく、復活の主が弟子たちに、その権能を授け て遣わすとの宣言である。そして彼らに息を吹き かけて言われる。「聖霊を受けなさい、誰の罪で も、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰 の罪でも、あなたがたが赦さなければ、許されな いまま残る。」これは大変な権能、大変な役割で ある。 ◇イエス様が教会にいてくださるからこそ、私た ちは罪を告白して赦される。イエス様を十字架に かけることに関わった人の罪、換言するならすべ ての人の罪を赦すために、主は来られた。私た ちは神様の赦しに与っている。それゆえ私たち には世の中を変えていく力が注がれているので ある。 (