◇ヨハネによる福音書では、復活の主が弟子たちの前に繰り返し現れてくださったことが強調されている。彼らは、主イエスとの人生を決定づける出会いを経験し、神の恵みが注がれている証しとしての奇跡や癒しを見ながらも、主イエスが敢えて十字架に向かわれ死なれたことを理解できず、多くが途中で離れてしまった。
◇トマス以外の他の弟子たちには、十字架の死から復活された主イエスが出会ってくださり、彼らを厳しく咎めるどころか「あなたがたに平和があるように」と呼びかけてくださったことにより、一切の不安が取り除かれて喜びに満たされた(20:20)。しかし十二弟子の一人、ディディモと呼ばれるトマスはその場にいなかったため、「釘の跡を見、この指を入れ、手を脇腹に入れなければ信じない」と語った。この言葉は、単なる疑いというよりも、十字架に架けられ死んでいかれた主イエスの御姿を深く受け止めていたトマスの姿を表していると言えるだろう。復活の主は、そのトマスにも他の弟子たちと同じように「平和があるように」と呼びかけ、傷跡を示された。するとトマスは、指や手で確かめることなく「私の主、私の神よ」と告白した。不甲斐ない自分たちのために十字架に架かってくださった死から復活してくださり、自分たちのために声を掛けてくださっている。そのことをトマスは主の呼びかけからはっきり聞き取り、主を高らかに賛美しているのである。
◇復活の主の呼びかけは、弟子たちにとどまらず、今を生きる私たちにも続いている。主イエス
は死んで、大きな足跡を後世に残した過去の人ではない。私たちは主イエスの御姿を見ることは
できないが、十字架と復活を通して、見ないで信じる者とされ、弟子たちと同じように、復活に新しくされた命に生きる者へと招かれている。主は今も生きておられる。私たちは、見てはいなくとも信じ、言葉に尽くせない喜びに生きる者とされている。この喜びを持って、新しい2月を共に歩みたい。



