2026/03/15「人の知恵の及ばぬこと」マルコによる福音書9:2~10 牧師 太田好則

◇3人の弟子の目の前で、イエス様の姿が変わる。それは天国にいらっしゃるときのイエス様のお姿である。普段のイエス様の衣は、文字通り普段着で、明るい色ではなかった。それが光り輝くような衣になっている。この時のイエス様の衣の輝きは、イエス様ご自身の内側から出ている光である。この光は、神様の栄光そのものである。するとエリヤとモーセが現れる。天の国では時間も空間も越えて、主を信じた人が会話することができる。 

◇ペトロは言う。「ラビ、私たちがここにいることは良いことです。」まさにその通り。天の国が目に見える形で現れることを、3人は見ている。さらに、天の国の人々は魂だけの存在になるのではなく、栄光に輝く肉体を持っていることも知らされる。 

◇ペトロは幕屋を建てる提案をする。しかしその提案は即座に否定される。なぜなら律法と預言者は、今やイエス様の福音に統合されたからである。彼らを包む雲は、神様がイエス様を愛する子として受け入れられるしるしである。弟子たちもまた、イエス様の故に、神様に受け入れられるのである。そして私たちもまた、天の国へと受け入れられる。その時には、私たちにも栄光の体が与えられる。 

◇弟子たちがあたりを見回してもイエス様の他には誰も見えず、イエス様のお姿もいつものイエス様に戻っていた。弟子たちは「復活する」とはどういうことかと、人間の知恵で議論する。だが復活は、イエス様が苦しみを受け、十字架につけられ、死んで、3日目に死人のうちから甦ることを通してしか、理解することができない。それでイエス様は沈黙を命じられたのである。 

◇私たち教会は、今や、天国を垣間見ている。イエス様の受難も、十字架の死も、復活も知っている。すべての人が天国へと招かれていることも知っている。まだイエス様を知らない人たちにイエス様を宣べ伝える責任がある。私たち一人ひとりの業は小さいが、その業を神様が用いてくださる。伝道にますます励もう。